約 1,287,666 件
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1412.html
220 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 10 45 ID RT3H1gnW その後、意識の無い香草さんと、歩くことの出来ないポポをやどりさんに手伝ってもらって、練習場内の医務室に運んだ。 ポポの足は粉砕骨折、香草さんは内臓損傷という重症だった。 医療が発達していても、重度の骨折ともなるとさすがに一日は絶対安静、三日はバトルを禁じられた。今日は集中療養室で一人でお泊りだ。 面会禁止でよかった。もし面会が可能だったりしたら、ポポはごねて僕についてこようとするか僕を帰れないようにしたに違いない。 治療時間としては香草さんのほうが短く、香草さんは数時間で意識を取り戻した。 こちらは今日一日は安静を推奨されたが、特に行動の制限は無い。 状況が理解できなかったのだろうか、香草さんは目を覚ますなり暴れだした。 僕とやどりさんと看護師さんの三人がかりで抑え、香草さんの両手両足を拘束具で固定し、ベッドに据えた。 両手両足の拘束を解こうともがいていたが、しばらくするとおとなしくなった。 蔦も葉も出さなかったことから考えるに、ただパニックになっていただけで、本気で拘束具を引きちぎろうとしていたわけではないらしい。 固定された香草さんは、青ざめた顔をして震えている。この震えは、寒さによるものではなさそうだ。 「私が負けたなんて……そんな……そんな……」 そんな感じのことを、うわごとのようにブツブツと呟いている。 彼女のプライドの高さからいったら無理も無い。 おそらく、同年代との戦いでは今まで負けたことなど無かったに違いない。 それなのに、二対一とはいえ、場外などのルール上の問題じゃなくて、文句なしの敗北を喫してしまったのだ、彼女のショックは計り知れない。 逆鱗に触れる結果になりかねないとも思ったが、僕は彼女に慰めの言葉をかける。 「げ、元気出してよ香草さん。香草さんもすごかったよ!」 突如、拘束された香草さんの手がピクリと動いた。手を伸ばそうとしたようだけど、拘束のせいで持ち上がらなかった。 びっくりした。てっきり首でも絞められるかと思った。 「……ぁ」 香草さんの口から、呻き声のような、涙声のようなものが零れ落ちる。 「ごーるどぉ」 名前を呼ばれた。 いつもの香草さんからは想像もつかない、不安げな、か弱い声で。 胸が締め付けられるのを感じる。物理的にじゃなく。 何だろう、香草さんがとても可愛く見える。 こ、これがギャップ萌えというやつか! ……って僕は何を考えているんだ! 「な、何?」 「お願い……お願いします。もう二度と負けたりしないから……」 呆気に取られて言葉も出ない。一体何の話だ? 「見捨てないでぇ。いなくならないでぇ。ごーるど、ごーるどぉ」 子猫の鳴き声のような、か細く、聞くものに庇護欲を喚起させる声。 「な、何を言ってるのさ。そもそも、負けたら契約解除だなんて一言も言ってないじゃないか」 「いや、いやぁ。ごーるどぉ」 彼女はついに泣き出してしまった。 まともな会話にならない。 彼女の拘束された手は、何かを掴もうとするように、必死に伸ばされていた。 白く、細く、怪力を発揮するとはとても思えない繊細で綺麗な手を。 僕が掴むことはなかった。 221 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 11 46 ID RT3H1gnW 「……ごーるど?」 不意に彼女の瞳孔がすっと細くなるのが見えた。 同時に、彼女の両の袖から、数十の、ボロボロの蔦が這い出し、鎌首をもたげる。 それはやどりさんが念力で押さえつけるよりも早く、僕の手首に伸びた。 「いや、いや。行かないで。行かないでよぉ」 駄々をこねる子供のように僕に呼びかける。 僕の手を掴む蔦が、僕の手首をギチギチと絞めた。 やどりさんの念力によって、蔦を含む彼女の全身が下方向に強く押し付けられる。 しかし、僕の手首に巻きつけられた、一本の蔦だけはそれに抗っていた。 「ごーるど、ごーるど、ごぉるど、ごぉるどぉ」 最初は甘く、徐々に激しく、彼女は僕の名を呼び続ける。 蔦は、もはや万力のような力で僕の手首をギリギリと締め付けていた。 あ、あ、あ。 「う、うわああああああああああ」 病室中に、僕の悲鳴が溢れかえる。 怖かった。腕の痛みよりなりより、香草さんが、まるで。 ――まるで…… 看護師が慌てて駆け寄り、香草さんの細い、白い腕を剥き出して、何かを注射した。 すうっと、まるで水が引いていくように、滑らかに、急激に僕の手首を掴む力は引いていった。 「いや、こんな、ごぉるど、私、わたし……」 彼女の言葉からも急激に力が抜けていく。 下がる瞼を必死に止めながら、彼女は何か言葉を作ろうと口をモゴモゴと動かしていたが、それも長くはもたず、すぐに沈黙した。 僕は病室の白い床に尻餅をついた。 彼女の蔦につかまれていた手首には、真っ赤な蚯蚓腫れが浮かび上がっていた。 そのとき初めて、僕は自分が全力疾走をした後のような荒い呼吸をしていることに気づいた。 「……ごめんね、おかしなことに巻き込んじゃって」 「……いい」 練習場からポケモンセンターに戻る帰り道。 さすが都会というだけあって、夜も更けつつあるこの時間でも街頭やネオン、建造物からの光で街は明るく、人々によって騒がしい。 賑やかな街と対照的に、僕はとてもいたたまれない気持ちに包まれていた。 一体何が香草さんをあのようになるまで追い詰めるのだろうか。 先ほどのことが思い出されて、少し震えた。 やどりさんからすればいい災難だろうな。 自分に落ち度があるわけでもないのに、こんなよく分からないことに巻き込まれて。 旅をしてきた僕ですらよく分かっていないんだ、今日会ったばかりのやどりさんなんてさっぱりだろう。 「今日はもう遅いし、とりあえずポケモンセンターに戻ろうか。きっと、ポケモンセンターでもそのくらいの融通は利くよ」 陰鬱な気持ちを吹き飛ばすように、努めて明るく言った。 きっと今回の騒動をみて、やどりさんはパートナーになってくれる気なんてなくしたはずだ。 だからポケモンセンター本来の目的からすれば、パートナーでもなく、パートナーになることも無いやどりさんが宿泊するのは無理なんだろうけど、一日くらいなんとかなる……はずだ。 やどりさんは黙って僕を見つめている。どうしたのだろうか。やっぱり、僕と同室なんて嫌なのだろうか。 となると、他に宿をとってあげるしかないか。幸いにもここは都会、宿探しには困らないだろう。バトルで一度も負けてないから資金も一応はある。……ホントは店めぐりをして道具を買い込みたかったんだけども。 「どうしたの?」 「私……と……あなた……は……パート……ナー。だから……ポケモンセンター……に……泊まるのは……当然」 彼女は相変わらずの無表情でそう答える。僕は一瞬呆気に取られた。 「え、いいの?」 「どう……して? ……ダメ……なの?」 「そ、そんなこと無いよ! ただ、今日の騒動で、僕とパートナーになるのが嫌になっちゃったんじゃないかって思って」 「そんなこと……ない」 「そうなんだ! それならよかった」 部屋に戻り、手早く寝支度を終えた僕はベッドに潜る。 やどりさんが照明を消したのだろう、すぐに部屋は暗闇に包まれた。 人の動く気配がする。やどりさんがベッドに向かう気配だ。 そう思っていたのに、その気配は僕のほうに近付き、僕の寝ているベッドの前で止まった。 222 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 12 11 ID RT3H1gnW 「どうしたのやどりさん」 僕がそう聞くと、彼女は無言でもそもそと僕のベッドにもぐりこもうとする。 「や、やどりさん、何やってるの?」 「何……って……寝ようと……」 「な、何で僕のベッドで寝ようとしてるのさ!」 「何で……って……」 外の明かりに照らされて、彼女の表情が見えた。 いつものどこか間の抜けた表情だけど、今の彼女の感情ははっきり分かる。彼女は明らかに不思議そうな顔をしていた。 「私……と……あなた……は……パート……ナー。だから……一緒……に……寝るのは……当然……」 「当然じゃないよ!」 思わず声が大きくなる。一体彼女はどういう思考回路をしてるんだ。 いや、もしかしてそれは当然のことなのかな。ポポだっていつも僕と一緒に寝たがるし……って違う! 当然なんかじゃない! 何だろうこれは。やどりさんの催眠術にでもかかってるんだろうか。 僕は邪念を振り払うためにやどりさんに背を向け、壁のほうを向く。 しかし、壁のほうを向くと今度は途端に香草さんの姿が白い壁に描かきだされる。 彼女のあの様子、とても正気には見えなかった。 彼女の自信、プライド。 そういったものが打ち砕かれた衝撃は僕が思うよりもはるかに大きかったようだ。 これから、彼女は一体どうなってしまうんだろう。 そして、彼女に対して僕は一体どうしたらいいのだろう。 次第に、思考は袋小路へと陥っていく。 そのまま、いつのまにか僕は眠りに落ちていた。 「……いい……の?」 「うん。約束だしね」 翌日。僕とやどりさんは役所にいた。 もちろん、やどりさんと正式に契約を結ぶためだ。 本当は香草さんに確認を取ってからにしたかった。 練習場の医務室を訪れたのだが、彼女は未だ深い眠りの中だった。 酷い怪我をした上に、精神も酷く磨耗したのだから当然といえば当然なのだけど。 今回、香草さんが受けたショックの大きさを再認識させられる。 ちなみにポポは骨折が思った以上に酷かったようで、相変わらず面会謝絶だった。といっても、治療は伸びても半日程度だそうだ。科学の進歩ってすげー。 正直、やどりさんと契約を結ぶのもどこか後ろめたい。 トレーナーと契約を結ぶパートナー、双方の同意があるのだから何も問題は無い。 とはいえ、あれほど強情に自分以外のパートナーを認めなかった香草さんを無視する形になってしまうのには、抵抗を覚えてしまう。 それに……僕が今新たに契約を結ぶということは、新たに契約を結ぶ相手を騙すことと同じだ。 やどりさんの問いかけに努めて明るい口調で答えたのも、そういった自分の負の感情を誤魔化したかったからだ。 卑怯者。 香草さんに、そう言われた気がした。 「これで僕とやどりさんは正式にパートナーだ。これからよろしくね」 「……こちら……こそ」 契約の手続きそのものは何の滞りも無く終わった。 やどりさんは元々住民登録してあったから、本当に何の手間も時間もかからなかった。 時間がかからなすぎて、香草さんやポポの様子を再び見に行くにも早すぎる。 そういえば、やどりさんが新たにパーティーに加わることになったんだ、ささやかでも歓迎式なんか開いてあげたい。その準備に時間を使ってもいいな。 ……でもきっと香草さんが許さないだろうから無理か。 「僕は今からジムの下見に行ってくるよ」 僕は結局、自分の目的を優先させることにした。 「……私も……いく」 「そう? じゃあ一緒に行こうか」 やどりさんもついてきてくれるようだ。 相変わらず、感情は読み取りにくいけど、少なくとも不機嫌そうではなさそうで安心した。 ジムに向かっている最中。意外なことに、やどりさんは本当に私とパートナーになってよかったのかと尋ねてきた。 あんな横暴な振る舞いをされても、それでも香草さんのことを気遣っているのか。 ……いや、単に僕が自分勝手なだけなのかもしれない。 「今回のことで香草さんもチームプレーの重要性がわかったと思う。きっと分かってくれるはずさ」 223 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 12 46 ID RT3H1gnW そう、今回の敗北が、彼女にとってよい作用を持たせばいいんだけど。 自己すら見失い、狂乱状態にあった昨晩の彼女。 頭をよぎった昨晩の情景をすぐにかき消す。 あれはただ、強いショックを受け止め切れなかっただけさ。 時間がたち、落ち着けば、上手く消化して、自分の身の一部にできる。 そう、信じたい。 若干苦い感情を覚えながらもそう考えていると、やどりさんは、 「……そうじゃ……なくて」 となにやらモニョモニョ言っていた。 僕はまた何か意図を図り間違えたのかな。 しかしジムに着いたので会話は一旦中断された。 僕たちは正面玄関に近付くことなく、ジムの脇に回る。 今はジム戦を挑みに来たわけではない。偵察しにきただけだからね。 このジムは主にノーマルタイプのポケモンを使うということは分かっているけど、上手いこと他のトレーナーが戦っていてくれていればもっと詳しいことが分かる。 ノーマルタイプは格闘系の技が弱点だけど、ジムリーダーともなれば対策がしてないとは思えない。 香草さんが格闘タイプだから僕たちは有利か……あ、いや、香草さんは草タイプだった。いつもの印象でつい。 予想通り、ジムの側面には少し高い位置にだけど大きな窓がいくつも取り付けられていて、中の様子を伺うことはそれほど難しくなさそうだった。 「やどりさん、念力で僕を持ち上げることってできる?」 やどりさんがいなければ他の手段を講じていただろうけど、折角やどりさんがいるんだから頼ってみる。 「……簡……単」 「それじゃ、申し訳ないんだけど、あの窓から中がのぞけるように僕を持ち上げてくれないかな? それで、僕が左手を開いたら僕を降ろして欲しい」 「……分かっ……た」 覗いていることがばれるとよくないだろうから、見つかったときの対策をちゃんと考えておく。 やどりさんは両腕を前に差し出すと、そのままトテトテと歩いて、僕に抱きついた。 「や、やどりさん?」 「……ちゃん……と……捕まっ……て」 言われるがままに抱き返す。すると僕たちの体がするすると浮き上がり始めた。 「じ、自分の体も持ち上げられるの!?」 まさか、念力でここまで出来るなんて。 つまりやどりさんは空を飛ぶことが出来るということだ。 いや、少しこれは大げさかな。 でも宙に浮くことが出来るというのは間違いない。 それくらい、やどりさんの力は強いものらしい。 やどりさんは僕を見て、僅かにだけど微笑んだ。 いつも表情が分かりにくいやどりさんにしては珍しいことだ。 窓の辺りまで浮上した僕は窓から中を覗き込む。 しかしバトルはやっていなかった。 まあそこまで都合よくはいかないよね。 自然物を使っていた今までのジムとはうって変わって、床面は人工的で無機質な素材で出来ている。遮蔽も無く、酷く無機質な造りだ。構造だけ見れば。 しかし床の色がピンク色のせいでまったく無機質さを感じられない。 というか悪趣味以外の何物でもない。 ジムリーダーは一体何を考えているんだ。 遮蔽物無しか……今までのジムよりも戦いやすいように思える。 でも、きっとこれが相手にとって一番有利な地形のはずだから、油断は出来ない。 「やどりさん、ありがとう。降ろして」 僕がそういうと、今度はゆるゆると降りていき、地面についた。 やどりさんはいつものぼんやりとした表情で僕を見ている。 僕に抱きついたまま、離れる様子は無い。 「……あの、やどりさん?」 「……何?」 「そろそろ離してくれないかな」 「…………やだ」 やだと言われるとは思わなかった。 でもずっと抱きついているわけにもいかないので、やどりさんを押して離れる。 やどりさんは相変わらずの表情だ。 本当に、ポポや香草さんとは違った意味で、やどりさんは何を考えているのか分からない。 そもそも、僕を浮かすのにわざわざ抱きつく必要はあったのかな。 まずそこを疑問に思うべきだった。 224 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 13 12 ID RT3H1gnW 次に僕たちは古賀根百貨店に向かうことにした。 古賀根市に来たからには是非一度は寄っておきたかった場所だ。 道中の連戦連勝で大分お金も溜まっているし、思う存分道具が買える。 店に入った僕は、圧倒されて息を呑む。 久々に来たけど、やっぱりすごい品揃えだ。 あ、これ新製品だ。便利そうだなー。欲しいなあ。でも今の手持ちの道具と機能が被るよなー。どうしようか…… お、こっちは技マシンのコーナーだ。旅に出るまでは実感が湧かなかったけど、こうしてみると魅力的だよなー。 ええっ、こんなものまで売っていたっけ? う、でも高いなあ……これを買うと他の道具が……いや、でも…… 不意にやどりさんに服をつかまれて、ようやく正気に返った。 しまった、つい商品選びに夢中になり過ぎてしまった。やどりさんを意識するのをすっかり忘れてしまっていた。 彼女を見ると、いつもの表情で僕を見ていた。 お……怒ってる? 表情の変化が無いから感情が分かり辛い。というか少し、怖い。 「ごめん、つい夢中になっちゃって」 弁明するように僕は言う。 そういえば、この旅の……というか香草さんのせいで、僕は謝り癖のようなものがついてしまったように思う。 僕は昔から自己主張が強いタイプではなかったけれど、何かあったらとりあえず謝って場を濁すようなタイプの人間でもなかったと思うんだけどなあ。 ふと、そんなことを思う。 「……人、多い。はぐ……れそう」 多いといっても一緒にいる人を見失うほど混んでいる訳ではない。 でも僕が上の空であっちへふらふらこっちへふらふらしていたらはぐれても何の不思議も無い。 まったく、僕には気遣いが足りていない。 あと、やどりさんが、はぐ、で言葉を区切るから、てっきりまた抱きつかれるかと思ったのはスルーしておこう。 「そうだね。手、繋いでもいい?」 「……うん」 僕が差し出した手にやどりさんが手――正確には着ぐるみ――を重ねた。 滑らかで柔らかい手触りが、僕の手に伝わってきた。 「……あ」 とある棚の前でやどりさんが小さな声を上げた。 今までずっと無言だったから、何事だろうとやどりさんを見たら、彼女は誤魔化すようにすぐに――といっても、彼女の動きだからゆっくりなんだけど――視線を僕に向けてきた。 でも、一瞬だけどやどりさんは確かに棚の陳列物を見ていた気がする。 「ラピスアクアかー」 その棚にあったのは、淡い青色を湛えた、透明度の高い石だった。 この石――ラピスアクア、直訳すれば水の石――には世界各地で水の力が宿っているという言い伝えがあり、別名水の結晶とも呼ばれている石だ。 確かに、その澄んだ青は見るものに不思議な力を感じさせる。 持つものには水の力が与えられるといった話や、水の加護を得る、なんて話がいくつもあるのも納得だ。 特に水を操るポケモンと関わりが深く、全員がこの石を持っている種族があるほどだ。 また、綺麗な見た目から宝石としての価値もある。 「そういえば、やどりさんはラピスアクア持っているの?」 やどりさんは水タイプだ。ラピスアクアを持っていても何の不思議も無い。 しかしやどりさんはゆっくりと首を横に振った。 225 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 13 48 ID RT3H1gnW そうなのか。最近はアクセサリーとして持つ人も増えていると聞くけど。 実際、その棚に並んでいるものも、原石はごく一部で、殆どはアクセサリーとして加工されているものだ。 そして何よりも……高い。 なんだこれは。 なんだこれは! 少し大げさに驚いてみた。 しかし高いことは事実だ。 具体的に言うと、未加工の小さな原石一つで傷薬が十個は買える。 一番高い、凝ったテザインのティアラに至っては、傷薬が一、十、百、千、……傷薬の限界を感じる。 とにかく、ものすごく高いってことだ。 でもやどりさんがパーティー加入したのに、特に祝って上げることも出来ない。ならば、プレゼントの一つくらいはしたほうがいいんじゃないだろうか…… 「あの……ゴールド?」 「こ、このネックレスなんかやどりさんに似合いそうだよね!」 僕は震える指で陳列棚に並べられている商品の一つを指差した。 値段はティアラに比べれば体当たりみたいなものだけど、僕の財布には破壊光線だ。 自分でも頭が少しおかしくなっていることは分かってる。 当のやどりさんは少し首を傾げている。 こ、この反応は……何だ? 「……そう……かな」 ようやく口を開いた。よく分からないけど、多分、まんざらでもなさそうだ。よし! 「じゃあやどりさんにプレゼントするよ。パーティー入隊祝いでさ」 「……いい……の?」 やどりさんの眼がネックレス……いや、値札に向いた。 まるで僕の心を見透かされているようだ。 ……見透かされてないよね? 「うん! せっかく仲間になったっていうのに、皆あんまり歓迎してくれそうにないし……あ、それはやどりさんが悪いんじゃなくて、誰に対してもそうだっていうか……」 あたふたと弁明をする僕を見て、やどりさんはかすかに微笑んだ。 その微笑はかすかではあるけれど、殆ど表情に変化というものがないやどりさんにとっては大きなものだ。 僕は店員さんに代金を支払うと、ネックレスをやどりさんの首につけてあげた。 「あり……がとう」 デパートからの帰り道、僕はやどりさんの何度目か分からないお礼を聞いていた。 ネックレスをプレゼントして以来、ことあるごとにありがとうと言ってくる。 喜んでもらえたのは嬉しいけど、ここまで感謝されると少し照れくさい。 「そんなに気にしなくてもいいんだよ。やどりさんもパートナーになったんだから」 何度目か分からない、その照れ隠しの言葉を返したとき、とても意外なことが起こった。 やどりさんの体が突然光に包まれたのだ。 その光の発信源は彼女自身だった。 数十秒の後、光は消え、その中からやどりさんが現れた。 進化だ。 久々に見たから驚いてしまった。 着ぐるみを着ていることもあって、変化が分かり辛いけど、確かに進化したんだよね? 半ば呆然として眺めていると、やどりさんは滑らかな動作で僕に抱きついてきた。 「ゴールド!」 初めて聞く、嬉しさが滲んだ彼女の声だった。 「や、やどりさん!?」 少し離して、彼女の顔を見る。 その顔にははにかんだような笑みが浮かんでいた。 226 :ぽけもん 黒 19話 ◆/JZvv6pDUV8b :2009/12/07(月) 02 14 45 ID RT3H1gnW 今までは変化に乏しかったけど、進化したことによって感情を出しやすくなったのかな。 「私……進化できた。ゴールドのお陰」 進化してもやどりさんはやどりさんだ。前ほどではないけど、少しのんびりとした話し方だった。 「ぼ、僕のお陰だなんて、そんな……」 ラピスアクアのような石が進化のきっかけになることもあるという。 きっとやどりさんはラピスアクアを身に着けたことで石からの特殊な波動というかなんというか、そういうものを受容して、それが進化に繋がったに違いない。 つまり進化できたのは石のお陰で……石をプレゼントしたのは僕だから、これも一応僕のお陰ということになるのかな。 「と、とにかくよかったね!」 「うん!」 やどりさんは元気に笑った。 ほどなくポケモンセンターの近くまで来た。 ふと、ポケモンセンターの前に立っている人影に気づく。 キョロキョロと落ち着きのないその影は、僕を見つけるなり、一直線に飛んできた。 「ゴールドー!」 「ポポ!」 驚いた。一日は絶対安静だといわれていたのに。 「足はもう大丈夫なの? 確か絶対安静とか言われたんだけど」 ポポを抱きとめながらそう質問する。 「平気です! 愛の力です!」 誇らしげにそう言う。 あはは、と僕は苦笑いだ。 ポポは力強く僕に抱きついていたが、はっと思い出したように僕から離れた。 「そうです、た、大変なんです!」 「何が大変なのさ」 「あの女が、チコが眼を覚ますですよ!」 その言葉に僕はゴクリと唾を飲み込んだ。 パートナーに恐怖心を抱くなんてありえない話だし、パートナーの快気を嬉しく思わないなんて間違っていることも分かっている。 でも、僕がそれを聞いて初めに抱いた感情は、やはり恐怖だった。 香草さんに会うのが怖い。 はっきりとそう思う。 「そ、それのどこが大変なのさ」 僕はやっとのことでその言葉を吐き出した。 自分でも、大変だとアピールするような声色になっているのが分かる。 「……やっぱり、ゴールドも分かってくれたんですね! チコは危ないです! ポポはゴールドに危ない目に会って欲しくないです!」 そういえば、ポポは以前から香草さんの危険性を主張し続けていたっけ。 ポポの言っていたことは……間違いではなかったのかな。 「だから、ゴールド。契約を解除しちゃえばいいんです」 「え?」 その言葉は僕にとって不意打ち気味に発せられた。 「チコと、パートナーじゃなくなればいいんです。そうすれば、ゴールドは危ない目に会わなくてすむです」 「そ、そんなこと……」 「パートナーに対する暴力。これは契約を解除する理由になるですよね?」 それは事実だ。しかし僕はそれよりも、ポポはそこまで物事を理解し、考えていることに驚いた。 「大丈夫です。ゴールドにはポポがいるです」 「私も」 彼女達の強さは織り込み済みだ。この状況で、無理に香草さんとパートナーである理由がない。 「で、でも、僕は……」 「ゴールド!」 背後から、大声量で名前を呼ばれた。 馴染みのある、その声。 ポポとやどりさんが一瞬のうちに体をこわばらせたのが分かった。 僕は、ゆっくりと、呼ばれたほうを振り返った。 「ゴールド」 僕の視線の先には、患者衣のままの香草さんがいた。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1551.html
185 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 01 56 55 ID ReNKNHut 「ゴールドもおっぱい大きいほうが好きです?」 「突然何をっ!?」 槐市に向かう道中。 少し休憩していると、ポポが突然そんな爆弾発言をした。 「だってゴールド……前のジムで、相手の胸ばかり……」 「そ、そそそそそそんなことはないよ! 何を言うんだポポ!」 慌てる僕の横で、なぜかやどりさんが自慢げに胸を張っていた。 いや、着ぐるみのせいで体のラインなんてさっぱり分かりません。 なんて言ったらいいか分からず、僕は苦笑いを浮かべるばかりだ。 てなわけで、僕達は槐市にやってきた。 香草さんが帰ってくるまで古賀根市に留まりたかったけど、槐市でロケット団の目撃証言があったのだ。 だから僕は古賀根市のポケモンセンターで、受付のお姉さんに頼んで香草さんへの言伝を残し、槐市を目指した。 香草さんがいないことに対する道中の不安は無くはなかったんだけど、その不安はすぐに掻き消えた。 ポポとやどりさんの相性の良さは香草さんとのそれをはるかに上回っていたのだ。 ポポが空から敵の座標を捕捉すると、やどりさんはそこに念力や金縛りを使い、相手に気取られることなく、迅速に敵を行動不能にした。 まさに無敵。ポポの視界が届く範囲、やどりさんの念動力が届く範囲は完全に彼女達の領域だった。 これなら、シルバー戦だって、ランを傷つけず、シルバーを身動きが取れなくすることだって簡単だ。 シルバー、次に会うときがお前の最期だ。 僕は心の中でそう呟いた。 それと、道中でポポが進化した。 空を飛んでいたら突然体が光だし、フラフラと落ちてきて……と最初の進化とほぼ同じ光景だった。 進化したと言っても、髪が伸びたことと翼が大きくなったことくらいしか大きな違いは無いように思えた。 そのことをポポに言ったら、 「それならゴールド、試してみるです?」 といたずらっぽく笑いながら言われたので、試しにどれだけ高く飛べるか見せてもらった。 速度、高度共にかなりのもので、やどりさんも、あそこまでは念力が届かないと感心したほどだ。 また、力も強くなったようで、道具を使えば僕達を空を飛んで運ぶことができそうだ。 こうなることを見越して、古賀根デバートで固定ベルトを買っておいたのは正解だったな。 普段は使わないけど、飛んで移動する必要があるときや速く移動したい時に役に立つだろう。 問題はポポと大分密着する形になってしまうということだけど。 ともかく、これでポポは最終進化。実に頼もしい。 186 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 01 57 40 ID ReNKNHut そして槐市。 槐市は古くはこの国の首都でもあった場所であり、現在も古都として風光明媚な景観を守っている。 一方、かつては数多の謀略が渦巻き、幾度となく戦乱の舞台にもなったこともあり、魑魅魍魎が渦巻く魔都として語られることもある地だ。 尤も、シルフカンパニーがシルフスコープを開発し、『ゴースト』という種類のポケモンが研究、一般化されたことによって幽霊の正体が暴かれ、魔都としての色は薄れつつある。 そうは言ってもこれだけの古い寺社仏閣に囲まれると、なんとなく厳かな気持ちにさせられる。 ポケモンセンターに宿を取った僕達は、早々に警察署へ行き、ロケット団の情報を聞くことにした。 僕はトレーナーだから、今後の旅の進路に危険がないようにロケット団の動向を聞きたいといえば、目撃情報くらいならすんなり教えてくれると踏んだのだ。 この予想は果たして正解だった。 行く先の安全のためとあれば、教えないわけにも行かないらしい。 ロケット団という理不尽な理由で旅が終わってしまえば、ロケット団による犯罪の防止率が思わしくない自分達の体面が立たないというのもあるのだろう。 巡査さんのくれぐれも目撃のあった場所には近付かないように、決して変な好奇心なんかを起こすんじゃないという言葉に、僕はもっともらしい顔をして応対した。 どうも目撃されたのは槐市の東の外れ、槐市というより隣の丁子町に近いところらしい。 本来の順路では丁子町より先に浅葱市に行くべきだから、丁子町に入る前に捕捉したい。 仮に丁子町に入られてしまった場合、順路をはずれるだけでなく、確か丁子町の手前にはチェックポイントの役割を果たしている通行所があったから、ここを何とか潜り抜ける方法も考えなきゃならなくなる。 とにかく色々と面倒になる。 というわけで、とりあえず丁子町のほうに向かうことにした。 ポケモンジムは後回しでも問題ないだろう。 僕は数日振りにおいしい食事、暖かいお風呂と柔らかいベッドにありつけてご満悦だ。 道中は警戒のためだのなんだの理屈をつけられて息がかかる距離で三人一緒に寝ることになってしまったが、今日はきつく言ったので久々に一人でベッドを使える。 僕は先行きの不安に悩まされながらも、ベッドのお陰ですぐに眠りに着くことが出来た。 「おはよう……ってなんで二人ともボロボロなの?」 翌朝目を覚ました僕の目に飛び込んできたのは、妙に散らかった部屋と、着衣が乱れたポポときぐるみが解れ、中から綿が覗いているやどりさんだった。 二人とも長い髪がぼさぼさなのは寝起きのせいだけじゃない気がする。 「お、おはようです!」 慌てた様子でポポが答える。 一方のやどりさんは無言で目を閉じ、唇を突き出している。 「……何?」 「おはようの……ちゅー」 やどりさんがそう答えた瞬間、ポポの翼が強かにやどりさんの後頭部を打った。 「いきなり何言ってるです! まったく、油断も隙もないです」 険悪な様子で二人はにらみ合う。まったく、どうして二人共こう……まともじゃないんだ。 「はいはい、騒ぎを起こさないって約束しただろ? 丁子町は遠いんだから、早く出発の準備して」 二人を諌め、僕も自分の準備をする。 二人は途端におとなしくなり、いそいそと自分達のベッドに戻った。 やはり彼女達をこの計画に引き入れたのは正解だった。 以前のままじゃ、どの道事件を起こして警察のご厄介になるのは目に見えていた。 仕度を終え、一緒に朝食をとった僕達は(現在ポポの食事の世話はやどりさんがしている。念動力のお陰で食事をしながら並行してポポに食べさせることが出来る。ポポは激しく不服そうだけど、僕は見ない振りをした)、早速丁子町目指して出発した。 しばらくすると市街地を抜け、街道にでる。 点在する寺社を横目に、一心不乱に歩き続け、そして野宿。 翌日もまた歩き続け、昼頃にようやく通行所の辺りに着いた。 そこで僕は驚愕することになる。 「ゴールド、煙が見えるです」 初めに気づいたのはポポだった。 空を飛んで哨戒に当たってもらっていたんだけど、どうも行く手に煙が上がってるらしい。 僕にはさっぱり見えないんだけど、前例もあるし、多分ポポの言うことは事実なんだろう。 怪訝に思いながらも進んでいくと、再びポポが声を上げた。 「ゴールド、燃えてる、燃えてるです!」 「燃えてるってなにがさ?」 「通行所です!」 な、なんだって! 187 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 01 58 43 ID ReNKNHut 「ポポ、本当なのか!?」 「間違いないです!」 通行所が燃えてるなんてただ事じゃない。 特に、近くでロケット団の目撃情報があったばかりの今は。 「ポポ、僕を抱いてくれ! やどりさんも飛んで欲しい」 僕は鞄から飛行用のベルトを取り出しながら指示を出す。 自分で走るよりポポに掴んでもらって飛んだほうが遥かに速い。それに、やどりさんも走るより念動力で飛んでもらったほうが速い。 本当は無駄に体力を浪費するべきじゃないんだろうけど、一刻も早く通行所に駆けつけたかった。 「だ、抱いてなんて、ポポ恥ずかしいです」 「……ゴールド、そんなことは許さない」 この子達はどうしてそうお約束のボケをするかな。 僕も言葉が足りなかったかもしれないけど、器具を取り出したんだから分かるだろ。 二人と漫才している暇が無かったので、手早く器具を組み立て、ポポと僕を固定する。 こうやって密着すると、ポポの胸が僕の背中に当たる。 見ても分からないくらい慎ましやかなんだけど、こうやって見ると確かにあるんだなあ。 そんな邪念が頭をよぎる。 というか、この背中に当たる二つの突起はもしかして…… 「やっとゴールドと繋がれたです……。ポポ、幸せです」 「……殺す。後で絶対殺す」 「ああもう、ポポはちょっと黙って! やどりさんも、早く補助お願い!」 二人のお陰で邪心は見事に吹き飛んだ。 どう考えても楽しめる状況じゃない。 体勢の制約上、ポポ一人で飛び上がるのは難しい。そのため、やどりさんの念動力によって離陸の補助をしてもらう。 やどりさんはブツブツいいがならも、僕達を宙に上げてくれた。 すぐにポポは自分の翼で力強く羽ばたく。 やどりさんも浮かんできたのを確認すると、ポポに進んでもらった。もちろん、やどりさんの速さにあわせてもらって。 「ああ、ポポ、ゴールドと一つになってるですよ。すごく気持ちいいです」 うん、気持ちいいね、風が。 「……殺す。後で絶対殺す。焼き鳥にして殺す」 一方やどりさんは呪詛のように殺す殺す呟き続けてる。 「にしても、本当にやどりはのろまです。わざわざゆっくり飛ばなきゃいけないなんておかしいです」 「……殺す。後で必ず殺す。その手羽もいで殺す」 背中に暖かくて柔らかいものが当たってるはずなのに、背筋に悪寒が走るのは、風を切って進んでるからなだけで無いことは確かだ。 もしかして煙云々っていうのも、僕と抱きつきたいがためだけの狂言なんじゃないか。 そんな疑惑が胸に浮かんだ。 しかし、しばらく飛んでると、僕の目にも、地平線の向こうに煙が見えてきた。 狂言ならそれはそれでよかったんだけど、どうやら本当に何かあったらしい。 「ポポ、通行所の状況はどんな感じ? 建物は見える?」 「建物なんて無いです。黒こげになって崩れてるです!」 ポポの報告は、僕の予想より遥かに深刻な状況を伝えるものだった。 もちろん、何の事件性も無い火事かもしれない。 しかしそんな希望は、ポポの次の言葉によって打ち砕かれる。 「赤い……赤い髪の人間が火を噴いてるです! 人も燃やされてるです!」 赤い髪。火。 まさか、そんなまさか。 188 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 01 59 49 ID ReNKNHut 「……ポポ、その赤い髪の人間の近くに、もう一人赤い髪をした人間がいないか?」 僕は震える声で、何とかそれだけ聞いた。 赤い髪なんて炎ポケモンじゃ珍しくも無い。 だから、まだそれがランだと決まったわけじゃない。 シルバーと共にいる以上、命じれられてそういう行為に手を染めていても不思議は無い。 でも、僕はランが人殺しの道具にされているなんて、信じたくなかった。 「……よく分からないです。帽子……みたいなのを被ってる人が多いです」 帽子……そういえば、前に見たときもシルバーはフードを被っていたな。 それに、ロケット団もRと書かれていた黒い帽子を被っていたような…… 「もしかしてその帽子を被ってる奴らは、赤字でRが書かれた黒い服を着てない?」 「あーる、です?」 そうか、ポポにRっていっても分かんないよな。 「うーん、なんか文字が書いてある?」 「赤で何か書かれた黒い服を着てるです!」 やっぱり、ロケット団が関わっているのか。 当然といえば当然だけど、衝撃といえば衝撃だ。 僕は軽く身構える。 「で、でも、燃やされてるの、その人達ですよ!?」 「えっ!?」 そんな馬鹿な。 その黒い服の人達はロケット団の団員なはずだ。 それが燃やされてるって。 通行所を燃やしたのと、ロケット団員を燃やしてるのは違う人なのか? ロケット団に焼き討ちにあった通行所の人間が応戦しているってことか? 事態がさっぱり把握できない。 通行所ではいったい何が起こってるんだ? ポポがランやシルバーを見たことが無いのが悔やまれる。 どんどん近付いていくにつれ、ようやく僕の目にも、通行所の成れの果てと思われる黒い塊が見えてきた。 その塊はドンドン大きくなり、全景が少しずつ見えてくる。 焼け落ちた通行所を背に、追い詰められているロケット団の集団。 地面に転がった、血を流して倒れているロケット団員と、黒い塊。 そして…… 「シルバー!」 やはりというか、驚くべきというか、そこにはシルバーがいた。 ポポの羽ばたく音で気づいたのだろう、向こうもこちらを見ている。 僕達は見る見る彼らに近付き、そして……あっという間に通り過ぎた。 「ってええええええ!?」 僕の声に驚いたのか、ポポがビクリと震えた。 「ど、どうしたですっ!?」 「な、なんで通り過ぎてんのさ!!」 「ええっ!? 通り過ぎちゃいけなかったですか!?」 「いけないに決まってるだろ! 何しに僕達は急いで飛んできたのさ!」 少なくとも、全力でスルーするためじゃないはずだ。 ポポは急減速し、止まる。 やどりさんもそれにあわせて止まった。 「二人とも、疲労はない?」 これからほぼ確実にシルバーとの戦闘だ。 疲れがあって勝てるような相手じゃない。 「大丈夫です!」 「……むしろ力は有り余っている」 やどりさんの言葉に恐怖を感じなくも無いけど、戦うには問題なさそうだ。 当然、ポポは僕と繋がったままでは戦えないから、地面まで降りてもらって金具を外す。 ポポは思いっきり不服そうだけど、今はそんなのに構ってる場合ではない。 器具を外すと、急いで通行所の残骸まで寄る。 通行所はほぼ完全に崩れ落ち、未だに濛々と黒い煙が上がっている。 元々重厚なつくりではないとはいえ、ここまで酷い有様を見せられると驚かざるをえない。 近寄ると、明らかに熱気を感じる。 189 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 02 00 45 ID ReNKNHut 「やどりさん」 「……了解」 僕が何も言わないうちに、やどりさんは僕の意を察してくれたようだ。 触れてもいないのに瓦礫が動き出し、僕達の前に道が出来る。 同時に、熱を下げるために水をまく。 水は一瞬のうちに蒸発し、眼前は蒸気に包まれる。 瓦礫を割り、白煙の中から現れるなんて随分と凝った登場シーンだ。 そんな場違いなことが思考の端をよぎる。 当然、向こうもこちらのことを把握してるのだろう、最後の瓦礫の壁の前で、僕は唾を飲んだ。 しかしやどりさんはまったくためらい無く、最後の瓦礫を打ち砕いた。 瞬間、瓦礫の向こうから火炎が飛来する。 それを予期していたのだろう、やどりさんは瞬時に念動力で僕達を火炎から避けた。……ただしポポを除く。 ポポは持ち前の身体能力で飛び上がり、かろうじて回避する。 「やどりぃぃぃぃぃ!!」 ポポの怒声が降ってきた。 「あれ、いた……の?」 それを受けるやどりさんは不敵な笑みを浮かべている。 なるほど、焼き鳥。宣言どおりか。 そんなことを思ったことはおくびにも出さず、二人を叱る。 「二人とも、仲間割れなんかしてる場合じゃないだろ!」 そう言っている間にも次々と火炎は飛来する。 瓦礫に阻まれるとはいえ、その向こうからでも十分な熱気が伝わってくる。 やどりさんが噴きかけた水が一瞬で蒸発していく。 ポポは一応回避は出来ているものの、言葉を発する余裕すらない。しかも遠めで見ても、近くを通る炎の熱気で表面が焦がされているのが分かる。 「やどりさん、とりあえずポポをここまで引き寄せてくれ。ちゃんと炎は避けるように」 「私だけでも……」 「いいから!」 「……はい」 ポポがこちらに近寄ったときを狙って、一気にポポを引き寄せた。 ポポは息も絶え絶えで僕達のところに落ちてくる。 そのままやどりさんに飛びかかろうとするポポを抑えて、尋ねる。 「ポポ、ランはどの辺りにいた?」 壁のせいでこちらからでは相手の位置は分からない。しかし炎を避けるために、今は壁を壊すわけにはいかなかった。 「あの辺り、です」 ポポは翼で壁の向こうを指す。 「やどりさん、瓦礫を使ってポポの指したほうを攻撃してくれ」 僕達の周りの瓦礫が次々を浮き、左右に避けて壁の向こうを攻撃する。 壁から伝わる熱がわずかに弱まった。 「このまま壁を破って攻撃!」 僕の命を受けると同時に、やどりさんは壁をそのまま向こうに飛ばした。 それを回避するランが見えた。 久々に見たランは少し姿が変わっていた。彼女も進化したのだろうか。 「ラン!」 僕は叫ぶが、彼女はそれをまったく意に介さず、こちら目掛けて火炎放射を行った。 僕が何も言わないうちに、やどりさんはそれを水を操って相殺する。 両者の衝突点から激しく水蒸気が立ち上る。 壁がなくなったことで、槐市側の通行所の様子が詳しく見える。 あたりには通行所や木々の残骸だと思われる燃えカスや、現在もまだ燃えているものが散乱し、地面は所々煤で黒く彩られている。 血を流した人間や、人だったものと思われる黒い塊がいくつもも倒れていた。 通行所の傍は特に酷い。 炭化した人間が山済みになっていた。 来るときに通行所を背に追い詰められていたロケット団員達が見えた。 そして先ほどまで容赦の無い火炎放射が降り注いでいたということは、彼らごと僕達に攻撃を行ったことを証明している。 今までかいだことの無い嫌な臭いと、今まで聞いたことも無いような阿鼻叫喚で満ち満ちている。 酷い有様だった。 そんな地獄絵図の中に、シルバーは泰然と佇んでいた。 190 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 02 01 24 ID ReNKNHut 僕はすぐにナイフに手をかける。 「二人とも、しばらくランを抑えてて欲しい。倒してもいいけど、殺さないように」 それだけ命令すると、僕はシルバーを睨みつけた。 シルバーは不敵な笑みを浮かべ、僕を見る。 「また会ったな、ゴールド」 「ああ、シルバー」 「どうやらお前はよほど死にたいと見える」 「違うよ。僕は死にたいんじゃなく、殺したいんだ、お前を!」 そう言うと同時に、僕はナイフを放った。 シルバーはそれを手に持ったナイフで弾いた。 しかしこれはただの牽制。僕はすぐにリュックからナイフを取り出し、カバーを外した。 「どうしてこんなことをしたんだ!?」 僕はそういいながら、シルバーとの距離をつめる。 「こんなこと? こんなことって何だ」 シルバーはそういいつつ、二本のナイフを抜き、放った。 狙いは僕ではない。 突然の事態に対応できず、棒立ちとなっているロケット団員の生き残りだ。 短い悲鳴をあげ、二人のロケット団員が地に伏した。 「シルバー!!」 僕はナイフをしっかりと握り、シルバーに襲い掛かる。 「俺は昔言ったよなあ? 弱い奴は生きてる価値が無いんだと」 彼はナイフで僕のナイフをいなし、そのまま僕に切りかかる。 僕は何とかそれを交わし、数歩距離をとった。 黒く焼かれ、地面に転がっている何人ものロケット団員が視界に入る。 憎いはずのロケット団員が、何故だか哀れに見えた。 「……お前は狂っている」 「俺は狂ってなんかいない。狂っているのは……」 そう言いかけたところでシルバーは飛んできた瓦礫に倒された。 視線を向けると、彼女達はランに対して有利に戦いを進めているようだった。 さすがに二対一.ランといえど二人を相手にするのは厳しいと見える。 「シルバー!」 ランが叫ぶのが聞こえた。 ランが負けなくても、二人を完全に抑えなくてはその分シルバーが狙われることとなる。 シルバーはいまや彼女の弱点となっていた。 ここぞとばかりに、僕はよろめくシルバーに切りかかる。 しかしシルバーも然る者で、強撃を受けたばかりにもかかわらず、わずかに斬られるだけで僕の攻撃から逃れた。 ランと合流しようとするが、それをやどりさんが念力で抑えた。 それに気をとられたランを、ポポが強襲しようとする。 勝った。 そう思った次の瞬間、ランの体は白い炎に包まれた。 体に火を纏ったくらいではポポの攻撃を止めることはできないはずだ。 それなのに、僕は恐怖を覚えた。 ポポ、攻撃を中止してくれ! しかし僕の思いはポポには届かず、ポポはそのままランを翼で弾き飛ばす。 悲鳴が響き渡った。 「ポポ!?」 ランに一瞬ぶつかっただけのはずのポポが地面に落ち、悲鳴を上げて地面をのた打ち回っている。 地面に倒され、むくりと立ち上がるランの立つ周囲の地面は、熱によって泡立っていた。 彼女の纏っている、おそらくは耐火性の高いはずの服が見る見るうちに焼け落ち、消えていく。 彼女はポポには目もくれず、生まれたままの姿でシルバーの下に駆け寄る。 やどりさんは水鉄砲を放つが、それはもはやランに届く前に蒸発して消えた。 ランはやどりさんのほうを向き、揺らめいた。 191 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 02 01 51 ID ReNKNHut いや、揺らめいたんじゃない。熱によって揺らめいて見えたんだ。 迫り来る熱の波を見た僕は、すぐに顔を覆って地面に伏した。 やどりさんの悲鳴が聞こえ、次いで熱波が到来した。 これだけ離れているのに、全身が電熱線で焼かれたかのような熱を感じている。 「やどりさん!」 顔を上げた僕の目に映るのは、きぐるみから煙を噴き上げ、膝から崩れ落ちるやどりさんの姿だった。 ランの体を包む炎はすでに消えていた。 彼女を中心に地面は黒ずみ、熱波を浴びた木々は発火を通り越して炭化していた。 僕達と同様に、熱風をもろに受けたロケット団員の何人かが悲鳴を上げながら地面をのた打ち回っている。 まるで焼夷弾でも落とされたようだ。 そんな地獄絵図と化した辺りを一望すると、ランは満足げに微笑んだ。 「やりすぎだ、ラン」 いつの間にか伏していたシルバーは平然と立ち上がり、ランに近付く。 シルバーは耐火服を身にまとっている上、僕に次いでランと離れていた。ダメージはほとんどないだろう。 戦闘不能のポポとやどりさん、満身創痍な僕に対して、まだまだ余力のありそうなランと、しばらくは動けるだろうシルバー。 形勢は一気に逆転した。 「ごめんなさい、マスター」 寄り添うように近付いてきたランに、シルバーは上着を脱いでかけてやった。 「ら、ラン……」 手を伸ばす僕に、ランから思いもよらない言葉がかけられた。 「……なんだ、まだ生きてたの?」 そう言い放ったランには少しもオドオドとした様子はない。 極めて落ち着き払っていた。 「ラン、もういいだろ」 「いいえマスター。マスターを傷つけたアイツをこのまま放っておくわけにはいきません」 ランはそういいながら、愛おしそうにシルバーの傷口をツ、となぞる。 顔をしかめるシルバーをみて、ランは実に幸福そうだった。 そんな様子を見てられなくて、僕は叫ぶ。 「ラン! 君はシルバーに洗脳されてるだけなんだ! 正気に戻ってくれ!」 が、それに対する二人の反応は思いもよらないものだった。 なぜか二人ともキョトンとしている。まるで僕がおかしなことでも言ったかのように。 しかし、すぐに堪えきれないといった様子でランが笑い出した。 「……っあっはははは! ゴールド、アンタどこまでめでたいのよ! 私がマスターに従っているのは私が洗脳されているからだとでも思ったわけ?」 ランがこんな風に笑ったことがあっただろうか。 「え、だって……」 「そんなわけないでしょ! 私がマスターと一緒にいるのは、私がマスターを愛しているからよ!」 「な、なにを……」 「ラン、もう黙れ」 「だ、だってその男は、君の父親を殺したんだぞ! 君の人生を台無しに……」 「何を勘違いしてるのよ。パパを殺したのは、マスターじゃなくて私よ」 「……えっ?」 意味が分からない。シルバーは顔をしかめていた。 「ラン……」 「そんなわけない! ぼ、僕は見たんだ! 僕だけじゃない、みんな見たんだ! シルバーが君の父親を刺した後、君にナイフを突きつけて人質にしたのを!」 「ああそう、皆そう思ってたんだ。どうりで、何時までたっても私が指名手配されないわけだわ」 「ラン、もうやめろ」 「皆勘違いしてるの。パパを殺したのも、その後私を人質にとったように見せかけてシルバーを逃がしたのも、全部わ、た、し」 「ラン!」 鈍器で思いっきり殴られたような衝撃を頭に感じた。 視界に行く筋かの細かい閃光が走る。 誰かが照明を弱めたように、急に視界が暗くなった。 信じられない。そんな訳が…… 僕はもう言葉を作ることができなかった。 燃える、崩れた家を背景に、倒れたランの父親と、ランにナイフを持った腕を向けるシルバーと、その腕を必死で掴むラン。 あの時の光景が鮮明に眼前に蘇る。 確かに、直前の爆発のせいで、誰もランの父親が刺されたところを見ていない。 だって、だれが考える? この土壇場で実の娘が父親を刺すなんて。 ロケット団の幹部の息子を庇って人質の振りをするなんて。 192 :ぽけもん 黒 21話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/18(日) 02 02 17 ID ReNKNHut 僕が見た、つまり皆が見たのはランにナイフを突きつけるシルバーじゃなく、腕ごとナイフを自分に手繰り寄せようとするランを必死に止めようとするシルバーだった? そんな、そんなことがあるはずがない。 だって、それじゃおかしい。 もしそうなら、全てがひっくり返ってしまう。 シルバーは本当は何も悪くなかった? 悪いのはランだった? そんなこと、あるはずが無い。 そんなこと、考えられるはずも無い。 ランは一歩、僕のほうに歩を進めた。 「ラン、何を」 「殺さなきゃ、アイツ。シルバーを傷つけたんだもの。生かしてはおけないわ」 一歩、また一歩とランは僕に近寄ってくる。 ランはそこに絶望的な一言を付け加える。 「パパと同じよ」 彼女はこともなげに言う。 「君の父親がシルバーに何をした?」 自分の口からでた声は、まるで自分のものとは思えないくらい掠れていた。 「家に火をつけたの、あれ、パパよ」 「……そんな!」 「ちゃんと考えなさいよ。パパは炎ポケモンよ、炎ポケモン相手に誰が火で対抗しようと思うのよ。ましてマスターだもの、そんな愚行を犯すはずがないでしょ」 「ラン、やめろ、命令だ」 険しい表情を浮かべるシルバーに、ランは寂しげに微笑んで答える。 「ごめんなさいマスター。でもずっと分かってたの。マスターはまだアイツに未練があるってことに。三人で楽しくすごしたあの頃を忘れられないってことを。でも、ダメよマスター」 「何がいけないんだ。それのどこが駄目なんだ!」 「だってマスター、それじゃ私だけを見てくれることにならないもの」 いつの間にか、ランは僕の目の前に立っていた。 僕を見下ろすランの目はどこまでも無慈悲で。 その瞳の冷たさが、どんな言葉より何より彼女の告白が真実であることを物語っていた。 「ラン、それは嘘だ。君はシルバーにそう信じ込まされているだけなんだ……」 「バイバイ、ゴールド。天国で私とマスターの幸せを願っててね」 うわ言を言う僕の頭部に、ランは笑顔で爪を振り下ろした。 絶叫。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2472.html
890 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 46 50 ID XiaE8fNk 熱波と圧力、音と光、そして砕かれ、巻き上げられた備品が閉鎖された空間に溢れる。 その濁流の真っ只中に僕たちは投げ込まれた。 まず光と音、それに圧力が到達し、ついで熱波が僕を襲った。 咄嗟に蔦で全身を覆われ、強く抱き寄せられる。 しかし蔦は僕の全身を覆うには足らず、むき出しの部分に破片が次々と突き刺さる。 その暴力の濁流はフロア全体のガラスを突き破り、一気に外部に噴き出していく。 一瞬の爆発が、何分も続いているかのように長く感じられる。 光と音で目と耳をやられたせいで、感覚が狂ってしまったのだろうか。 そんな濁流は、唐突に始まったのと同じように唐突に勢いを失い、終わった。 「ううっ……」 目がかすむ。耳が痛い。見えるのは灰色の景色のみ、聞こえるのは強烈な耳鳴りのみだ。 やられた。 窮地に追い込まれたからと言って、まさか自分から自爆するなんて。 信じられない。 僕はロケット団というものを甘く見ていた。 助かる道があるのに、任務のためにこうもたやすく自らの命を投げ出すなんて。 そして皆はどうなったんだ。 「み、みんなー」 自分の声すら変に聞こえる。耳がおかしくなってるんだから当然といえば当然だけど。 爆発から距離があり、香草さんに守られた僕ですらこうなんだ、向こうの三人は…… 立ち上がろうとして、手をついた瞬間、手に激痛が走る。 目を凝らしてみると、手にも数個の小さな瓦礫が突き刺さっていた。 血も大分出ているみたいだ。 こうして視認すると、今までしびれるようだっただけの手に酷い痛みが走る。 この分だと、同様にしびれるようである足も、無事ではないだろう。 目の中に血が入ってきた。 上体を起こしたことで、血が流れてきたらしい。 ということは、頭部からも出血しているのか。 頭の痺れはてっきり目と耳がやられたせいだと思っていたのに。 どうやら僕も大分重症らしい。 意識があるのが幸いだ。 今敵に襲われたらおしまいだけど、すぐに襲ってこないところを見ると、どうやら敵も無事ではないらしい。 本当に助かる。 「香草さん、どこ」 とりあえず近くにいるはずの香草さんに呼びかける。 一刻も早く体勢を立て直さないと。敵もいつまで動けないか分からないし。 僕の呼びかけからほとんど間を置かず、かすかに高い声が聞こえた気がした。 香草さん……? 耳鳴りのせいでまともに聞き取れない。 突然、首筋に生暖かいものが触れた。 「ひいぃ!」 状況が状況だけに、情けない叫び声を上げてしまった。 咄嗟に振り払い、触れてきた何かの方を向く。 霞む視界に、ぼんやりと何かの塊が見える。 敵か、それとも味方か? 「…………ぉ……し……よ」 言葉は途切れ途切れにしか聞こえないけれど、この声は多分香草さんだ。 「よかった、無事だったんだね!」 無事かどうかは分からないけど、つい反射的にこういってしまった。 すがるように近づいてきたその塊を、そのまま抱きとめる。 「ありがとう、僕は無事だよ」 彼女を安心させるように僕は彼女にそう呼びかける。 そのとき、唐突に腹部に猛烈な熱さを感じた。 同時に足の力が抜け、立っていられなくなる。 「ゴールドォー!!」 背後から叫びが聞こえてきた。 例え耳がおかしくなっていたって分かる。これは香草さんの声だ。 じゃあ目の前のこいつは…… 目の前の何かの輪郭が歪み、すぐにそれは別の形をとる。 「おま、え、は……」 「うふふ、ばぁーか」 こいつは、ハシブトだ! 僕の腹部には、彼女の鍵爪が深々と突き刺さっている。 騙まし討ち……糞っ! やられた! 普段なら騙されることはなかっただろうけど、目と耳が霞んでいたのと、香草さんが心配だったのですっかり油断していた。 足の力が抜け、僕はいまや彼女の鍵爪で無理やり立たされていた。 「あ……が……」 痛みで思わず呻く。 「さーてお嬢ちゃん、この子の命が惜しかったら……」 891 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 47 16 ID XiaE8fNk 彼女がそう言いかけた時。 何かが僕と彼女の間に現れた。 彼女はそれを避けるように咄嗟に回避したが、間に合わず、当たった腹部から血が弾けた。 その直後、空気を切り裂くような音が聞こえた。 ハシブトが再び姿を消したせいで、支えを失った僕はそのまま地面に倒れこむ。地面の感覚がおかしい。いや、おかしくなってるのは僕の感覚のほうか。 動かない体で、何とか首だけ動かして視界を何かが来たほうに向ける。 僕の視界の先にあるそれは、随分と赤くそまっているけど、それは…… 「ち、こ……?」 それは香草さんに見えた。 彼女の手から伸びた蔦が、こちらに伸びているのも見える。 じゃあさっきの一撃は彼女が? 僕は信じられない思いだった。 だって、さっきの一撃は…… 「許さない……」 さっきの一撃は、攻撃が見えた後に、音が聞こえた。 「私のゴールドを傷つけた……」 満身創痍なはずの彼女の放った一撃は、つまり…… 「私のゴールドを!」 つまり、音の速さを超えていたことになる。 彼女は咆哮とともに、周囲の全てをなぎ払った。 金属製の机がまるでベニヤ板でできているかのように千切れ、部屋に跳ねる。 僕はポケットに手をいれ、震える手で何とか止血剤を掴むと、傷口にかけた。 「うぐっ……」 肉が焼けるような音とともに酷い痛みが僕を襲う。 これなら放置していたほうがマシと思える痛みだ。 しかし腹部の傷は浅くは無い。放置していたら出血で死んでしまうだろう。 その間も、僕の上では酷い勢いで蔦が荒れ狂っている。 衝撃波だけで人が殺せそうな迫力がある。 視界が不明瞭だから香草さんの表情は伺い知れないけど、間違いなく彼女は正気じゃない。 僕がやられて激昂しているのか。 「チコ……! やめろ……」 ちょっと大きな声を出すとすぐ腹部に響く。 ただこれだけの言葉を吐き出すのに、酷い苦痛が伴った。 「……ゴー、ルド? 無事なの? ゴールド!?」 僕の言葉で案外あっさりと正気に返った香草さんがこちらに駆け寄ってくる。 「よかった、私、ゴールドが刺されたのを見たら、頭が真っ白になっちゃって……」 僕の隣に蹲り、泣きじゃくる彼女の頬に手を伸ばす。 近くで見ると、そこらじゅうボロボロになっているのが分かる。酷い怪我だ。思わず目を背けたくなる。 だけど、今の僕にはそんなことはできない。 そして、僕はそんな彼女に、彼女を労わる言葉より、彼女を鼓舞する言葉をかけなければならない。 「香草さん、僕は大丈夫だから、それより気をつけて」 「大丈夫、私、絶対に負けないから。ゴールドを守ってみせる」 はは、頼もしいな。 騙し討ちにまんまと引っかかって重体の僕と、僕の命を救ってくれた彼女。 まったく、本当に僕は頼りない上に情けない。 自虐もほどほどにしないとな。腹部はまだ酷く痛むけど、止血剤のおかげで血も止まったし、それに、傷も思ったより深くなさそうだ。あの爆発のダメージが相手にもあったんだろう。 こうしている間に攻撃してこないってことは、おそらく先ほどの香草さんの一撃が思いのほか効いたか、それとも、その後の暴走で大怪我を負ったか。 それなら、こちらに勝機が見える。 後はやどりさんたちはどうなっているのか。 僕たちよりはるかに爆心地に近いから、まともに食らっていれば大怪我は免れないだろう。 あたりに立ち込めていた埃も晴れてきて、大分向こうの様子が見えるようになってきた。 よく見えないけれど、三人とも立っている。無事みたいだ。 黒い影がちらついていることから、ハシブトと応戦しているのだろう。 そうか、こっちが手がつけられそうに無いからまず向こうを落としに行ったのか。 しかもよく見えないけど、三人ともそれほどの怪我を負っているようには見えない。どういうことだ? もしかして、やどりさんがサイコキネシスで衝撃波と瓦礫のほとんどを相殺したのか。 さすがやどりさん。 でも、衝撃波を殺せても、音と光は防げない。 視覚と聴覚へのダメージはこちら以上だろう。 手放しで安心はできなさそうとはいえ、それでも一安心だ。 彼らの元に向かおうと、体を起こそうとするが、腕に力が入らなくて出来なかった。 彼らの無事を確かめたら、気が抜けたのだろうか。 892 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 47 45 ID XiaE8fNk 「チコ、僕は大丈夫だから……、彼らを助けてきてよ……」 気が抜けたせいか、大きな声を出すわけでもないのに、喋るのが億劫だ。体が重い。少し休みたい。 ランは自分を守ることはできるけど、味方に被害を出さずに相手を倒すのは難しい。 やどりさんは超能力が通じない以上、決定力に乏しい。 なら、相性はあまりよくないとはいえ、香草さんが一番の適任のはずだ。 現に先ほど大きなダメージを与えている。 「だめよ! 私はゴールドの傍にいる! 絶対離れたりしないんだから!」 香草さんは僕の言うことを聞こうとしない。 そういえば香草さんは、最初会ったときから、僕の話を聞いてくれなかったっけな。 起き上がろうともがくことに疲れて、僕は手を降ろす。 彼女は慌ててその手を抱きとめ、自分の胸に寄せた。 「嫌っ! ゴールド! ゴールド!」 どうしたの香草さん、そんなに慌てて。僕は大丈夫だよ。 そう言おうと思ったけど、口を動かすのが酷く億劫だったから、目を瞑りそのまま休むことにした。 「いやぁぁぁ!! ゴールドォォォォォ!」 香草さんが絶叫し、僕にすがり付いてくるのが分かる。 そんなに慌てなくても大丈夫だよ。ただちょっと一休みするだけだから…… しかし香草さんにこう縋られてはそれも叶わない。 その旨を告げようと、何とか力を振り絞って目を開くと、香草さんは僕の頭を抱えて粛々と泣いていた。いつの間に頭を持ち上げられたんだろう。気づかなかった。 「いや、ゴールド、こんなの絶対にいや。絶対にゴールドを死なせたりしないんだから」 彼女はそう言って、僕の頭を強く抱える。 苦しい。 目の前が塞がれて、真っ暗になるはずなのに、なぜか視界が薄明るい。 怪訝に思っていると、どんどんその光は強くなってきた。 何だ? 香草さんが光を放っている? いや、周囲から光を吸収しているのか? 草ポケモンの中には、光を吸収して急速に自らのエネルギーにできる者がいる。 香草さんもその能力があったのか。 ぼんやりとそんなことを思っていると、気づけば、その光は香草さんだけではなく僕にも伝わっていることに気づいた。 同時に、内部から力が湧き、全身の感覚が戻ってくる。 激痛、そして恐怖で全身から汗が噴き出した。 さっきまで、僕はいったい何を考えていたんだ!? 先ほどまでの症状は明らかに失血による意識の喪失一歩手前だったじゃないか!! どう考えても休んでいい状況じゃないだろ! 危なかった、危うく死ぬところだった。どうやら正常な判断力を失っていたようだ。 体力が回復したおかげで、少し正気が帰ってきた。 そのまま光に包まれていると、傷の痛みも若干引き、大分マシになってきた。 それにしても、この光は何なんだ? 光を吸収して回復することができても、それで回復するのは香草さんだけのはずなのに。 おかげで僕は死なずに死んだのだけれど、わけが分からない。 考えているうちに、香草さんと僕の発光は序々に弱まり、おさまった。 体を起こし、香草さんの腕の中から抜け出す。 「ありがとう香草さん、助かったよ」 「ゴールド!? 大丈夫なの?」 「うん、香草さんのおかげだよ。本当にありがとう」 僕がそういうと、香草さんは泣きながら飛びついてきた。 「ごーるどぉ! よかった! 本当によかったよぅ」 声はすっかり涙で滲んでいる。 回復してもらったとはいえ、衝撃が加わると大分傷が痛むのだけれど、何とか受け止めた。 泣きじゃくる彼女を抱きとめ、背中を撫でる。 しかしここは戦場だ。 そんな隙だらけの人間を放置するほど甘くは無い。 すぐに空間が揺らぎ、そこにハシブトが現れた。 僕は香草さんごと攻撃を避ける。 敵は随分と消耗しているのか、香草さんを抱きかかえながらでも攻撃は何とか回避できた。 香草さんもすぐに攻撃されたことに気づいたらしい。 「あんたのせいでゴールドが大怪我しちゃったじゃない……! アンタは絶対に許さない……!」 僕に見せる表情とは180度変わった表情となり、ハシブトに向けて蔦を振りかざす。 回避するハシブトを追って、そのまま攻める。 一方僕は飛んできたナイフを身をよじって回避した。 「おいガキ、さっきのはいったい何だ」 僕に向かってナイフを投げた男が、僕にそう問いかける。 893 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 48 11 ID XiaE8fNk 爆発の後、姿が見えなかったけど、不意打ちでも狙っていたのだろうか。 つくづく汚い奴だ。 それにしても、さっきのがいったい何だなんて、聞きたいのは僕の方だ。 回復中なんて一番無防備なときに攻撃されなかったと思ったら、この人たちも僕たちが突然光りだしたことの理由が分からず、警戒していたからだったのか。 もちろん、僕はその質問の答えを知らないし、答える気も無い。 「ロケット団員ってのは最低な人間だな。劣勢だからって部下に自爆させるなんて」 だから僕は憎まれ口を叩いてやる。 「質問に答えろ小僧。それに、あれは俺が指示したわけじゃない。自分から勝手にやったことだ」 「自分から勝手にやったことだって! それがお前のために死んでいった部下に言うことか!!」 「黙れ! お前に何が分かる!」 「何も分からなくたって、お前が最低な奴ってことは分かるさ!」 「これだからガキは嫌なんだ」 そういう男の背後にハシブトが現れ、二人そろって姿を消した。 また不意打ち狙いか? しかしまだ爆発の衝撃から立ち直っていない僕たちに時間を与えるようなことは、あまり上策とはいえない。 「チコ、向こうと合流しよう。わざわざ敵に合わせて一対一でやることもない」 僕は香草さんに駆け寄ると、そのまま向こうの三人に向かって駆け出した。 するとその三人のところに、男とハシブトと、そして何かの塊が現れる。 その塊を残し、二人はすぐに消え、やどりさんたちの攻撃を回避する。 そういえば、あの大爆発以来、ガドータの姿が見えなかった。 彼女が一番爆心地に近かったから、てっきりその衝撃でバラバラになったものだと思っていたのだけど…… 「みんな、逃げ――」 僕がその意図に気づき、叫び終わる前には、僕は香草さんの蔦によって香草さんに引き寄せられ、彼女に抱えられるようにして地面に伏せさせられていた。 瞬時に蔦で周囲の瓦礫を集めて壁が作られ、さらに物理攻撃のダメージを半減させる半透明の壁が展開する。 その即席の防壁は、すぐに大爆発によって消し飛ばされた。 なんてことを。 奴ら、瀕死の味方を爆弾として利用しやがった! 再び、構内に閃光と大音響、そして暴風と熱波が駆け巡る。 何をやるか分かっていたから、僕たちにはダメージは低かったけど、目の前で爆発されたあの三人は。 「シルバー!!」 思わず、叫びが喉を突いて出た。 壁が消え、目の前にはただただ黒煙が広がる。 「ゴールド、落ち着いて! 今動くのは危険よ!」 香草さんはそう言って僕を抱きとめるけど、頭で分かっていても、とてもじゃないがじっとしてなんていられなかった。 「やどりさん! ラン!」 僕の叫び声は空虚に崩壊した構内に響く。 その時不意に、悪寒を感じて振り向いた。 ハシブトの鍵爪が、今まさに香草さんの頭に振り下ろされるところだった。 「危ない!」 地面を蹴っ飛ばし、香草さんごと後ろに倒れこむ。 それを追うように、事態に気づいた香草さんが無数の蔦をハシブトに伸ばす。 しかし再びハシブトは煙に溶けるように姿をくらまし、蔦から逃れる。 クソッ! 爆発がただそれだけで終わるわけが無いじゃないか! どうしても動揺してしまい、彼らから注意が逸れてしまった。 どうして僕はこう馬鹿なんだ! 「いやああああああ!! シルバァアアアアアアア!!」 今度は何だ! 自己嫌悪に駆られている僕の耳に、誰かの絶叫が突き刺さる。 いや、こんな叫びを上げる人間なんてこの場にはひとりしかいない。 周囲に警戒しつつ、焼けた瓦礫を踏みながら急いでその声の場所に近寄ると、そこには何かの上に倒れるようにしてむせび泣くランの姿があった。 煤と怪我で全身が汚れていて、さらに涙やらなにやらで彼女は酷い有様だった。 まさか。 僕は浮かぶ疑念、いや、確信を必死に打ち消しながら、彼女が覆いかぶさっている何か、に近づく。 真っ黒に焦げたそれは、おおよそ生き物とは思えなかった。 だが、それは…… 「し、シルバー……?」 見る影もなく変貌したそれは…… 「……よ、よう……ゴールド……」 掠れて、普段のものとは程遠いその声は、やはりシルバーのものであった。 894 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 48 32 ID XiaE8fNk 声も出ない。 重度の火傷に加え、全身にいくつも瓦礫が突き刺さっていて、さらに手足の一部は明らかにちぎれてなくなっていた。 誰が見ても一目で分かる。 もうシルバーは助からない。 今生きて意識があるのが不思議なくらいだ。 ここがポケモンセンターだったら助かる可能性もあったかもしれないが、いくらポケモンセンターだって死者を蘇らすことなどできはしない。 「シルバー! 死ぬな!」 でも、僕はシルバーにそう言わずにはいられなかった。 ロケット団に人生を蹂躙され、ランにまっとうな生活を奪われ。 このまま死ぬんなら、何のために生まれてきたか分からないじゃないか!「……怒鳴るなよ、うるせえな……死なねえよ……」 口の端には血の泡が溢れている。 彼の減らず口が今だけは頼もしくて泣けてきた。 「どうなったんだ……? 暗くて、何も見えねえ……」 確かに視界は悪いけど、何も見えないというほどではない。 もう目も見えていないのだろう。 「泣いているのは、ランか? 泣くなよ……」 シルバーはそう言ってランの頭に手を載せた。 「ゴールド……覚悟しておけよ……」 いつにない、神妙な口調。やめろよ。やめてくれ。 「覚悟って何を」 僕の声も、震えていた。 「お前も……俺と同じ、運命に……」 シルバーの目はもう僕を見てはいない。 意識が錯乱しているのか? 「糞みてえな、人生だったが……それでも……」 「シルバー! もう喋るな!」 「ラン、最後だから、言ってやるよ……」 「シルバァアアアアアア! いやぁあああああああ!!」 「ラン……好きだ……ずっと……お前に逢えて……よかった……」 彼はランを抱くように動いたが、しかしランを抱くことなく、動きを止め、肢体を投げ出した。 そしてそれを最後に、動かなくなった。 「じょ、冗談だろ? なあシルバー?」 分かっている。 コイツは食えない奴だけど、こんな状況でふざける様な奴じゃない。 でも信じられない。 殺しても死なないような奴じゃないか。 それが、こんなあっけなく…… 「ゴールド、しっかりして! このままじゃ……」 ハシブトと戦っている香草さんも、僕達を守ったまま戦うのは辛そうだ。 確かに、今は感傷に浸っていられるような状況じゃない。僕は混乱した意識を無理やり戦闘に集中させる。 黒煙が粗方晴れたお陰で辺りが見えるようになってきた。 そのため、煤で汚れているものの、床に倒れているやどりさんを見つけることが出来た。 「やどりさん、しっかり!」 瓦礫に半分埋まったやどりさんを何とか掘り起こす。 「う、うーん……」 よかった、気絶していただけみたいだ。 気ぐるみと超能力で身を守れる分、彼女の怪我は軽かったようだ。だけど今回は一回目と違いランやシルバーを守る余裕が無かったのか。 「はやくチコさんの傍に!」 未だ意識が朦朧としているやどりさんには酷だろうけど、今は落ち着くまで待ってもらう猶予もない。 「ランも早く!」 ランの方を見ると、彼女は炎に包まれていた。 それも異常な熱を持っている。 一目で正常じゃないと分かる。 彼女のショックは僕の非ではないはずだ。 どんな暴挙に出てもおかしくはない。 まず真っ先にそのことを考えるべきだったのに。 冷静に行動したつもりだったけど、内心ではすっかり動揺しきっているみたいだ。 「ラ、ラン!」 どうしよう、なんて言葉をかければいいんだ。 どんな言葉をかけたって、今の彼女を何とかすることなんて…… ちくしょう、シルバー! お前だけなんだ! お前だけしかランをどうにかできる人間はいないってのに!! 僕が手をこまねいている間にも、彼女から放たれる熱量がどんどん上がっている。 もはや近づくことも不可能だ。 「隙だらけよ! ってあっつい!!」 ランを狙ったハシブトも返り討ちに会った。 彼女はこれで安全かもしれないが、このままではこっちがたまらない。 「ラン! 落ち着いて!」 言うに事欠いて落ち着いてとは、自分でもどうかと思う。 一層熱量が上がった。 ぎゃ、逆効果か!? 「ゴールド、ふざけてる場合じゃないわよ! このままじゃ、このビルが保たないわよ!!」 ふ、ふざけてなんかいない! シルバーの体はすでに火に包まれ、パチパチと爆ぜている。 もしかして、これは火葬のつもりなんだろうか。それこそ、そんな場合ではない。 895 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 48 51 ID XiaE8fNk 「ラーン! 話を聞いてくれー!」 業火の中にある彼女は、強い口調で答える。 「煩い! アンタと関わらなければ! アンタがいなければシルバーは!」 まるで僕のせいでシルバーが死んだと言わんばかりだ。 「最初からこれでよかったのに! あたしはシルバーがいればそれでよかったのに!」 さらに熱量が高まり、その一部が熱波となってこちらに押し寄せる。 「アンタさえいなければ!! アンタが、アンタが死ねばよかったのよぉー!!」 「ゴールド! 逃げるわよ!」 ランの絶叫と共に、猛烈な熱風が押し寄せてくる。 香草さんは咄嗟に僕を蔦で取り上げ、そこから逃げ出す。 僕は反射的にやどりさんの襟首を掴んだ。 意識を取り戻したやどりさんが水の膜を張る。 同時に、水を噴射して僕達を加速させた。 先ほどの爆発から逃れ、燃え残っていた可燃物が片っ端から燃えていく。 馬鹿げた熱波だ。 熱の濁流が、狂ったように空間を飲み込んでいく。 隔壁の手前まで逃れ、何とかまともに熱波に晒されることを避けることが出来た。 しかしそれでもランから大した熱が損なわれた様子は無い。 あれだけの熱を放出していながら、彼女は未だ煌々と輝いていた。 限界が見えない。ここも安全とは言えない。 「やどりさん、チコさん、僕達が通れる大きさでいい! 隔壁をぶち抜いて! は、早く!」 その声は、思いのほか震えていた。 ランに対する恐怖も無いとは言えない。 でもそれより、彼女に死ねと言われたことがショックだったのだ。 彼女は、本当にシルバーのことしか見えていなかったんだな。 僕なんて、ただの他人、いや、むしろ彼らの間に割り込む敵。 そのように思われていたんだな。 僕だけだったのか。 昔の、あの三人で過ごした日々を、大切に思っていたのは。 生命の危機に、何を寝ぼけたこと言っているんだと思われるかもしれない。 この旅に出てからの、度重なる恐怖と命の危機で、僕の危機意識はすっかりおかしくなってしまったみたいだ。 そもそも、こんな自分の命を自分で危険に晒すような計画に参加してしまった時点で、僕はもうどうかしていたのかもしれない。 シルバーを失い、ランから罵倒され。 確かに、彼女の言うとおり、僕は最初から関わるべきじゃなかったのかもしれない。 「ゴールド! 開いたわよ!」 彼女の方を見ると、分厚い隔壁を貫いて、ギリギリ人一人通れそうな穴が開いていた。 この短期間でよくやったものだ。 「チコさんから通って!」 「いいえ、ゴールドから!」 「いいから! 早く通って! 隔壁の向こうの安全を確保するんだ!」 僕はそう言って彼女を先に通らせる。 隔壁の向こうに敵がいるだなんて思っちゃいない。 今この場にいるまともな戦力は香草さんだけだ。 だから彼女の安全を真っ先に確保しなければならない。 今僕達に揉めている猶予は無い。 それは彼女もよく分かっているのだろう。 普段なら食い下がるところだけど、彼女は僕を何か言いたげに一瞬見たものの、すぐに隔壁の向こうに潜った。 ランを一瞥する。 白々した火柱に彼女は包まれていた。 とてもじゃないが話なんて出来る状況ではない。 頭を伏せ、隔壁を潜った。 上体を向こうに出したところで、香草さんによって引っ張られる。 「やどりさんも早く!」 隔壁を抜けると、僕はすぐに向こう側に手を伸ばした。 ボロボロになった着ぐるみの、ゴワゴワとした感触が手に返ってくる。 そのまま彼女を引っ張るが、途中で動かなくなった。 「どうしたんだやどりさん!? まさか、ロケット団に掴まれて……」 「違う……き、きぐるみが、ひっかかって……」 彼女はこんな事態にも関わらず、恥ずかしげにそう答える。 「着ぐるみなんて脱げばいいだろ!」 一刻も早くここを通り抜けないと、いつロケット団から背中を狙われるか分からないってのに! 彼らが姿を消しているのは機をうかがっているのか、それともさっきの熱波にやられて、まともに動けないのか。 後者であって欲しいけど、後者だということを想定して行動することはありえない。 「で、でも……」 「いいから、早く!」 僕は彼女の手を持ち、無理やり引っ張る。 着ぐるみの腕のところとそこから上の部分は、余程脆くなっていたようで、あっさりと千切れた。 そういえば、この着ぐるみも今まで散々痛めつけられてきたもんな。 そしてそこが切れたことで、ずるりとその中身であるやどりさんが出てきた。 当然全裸である。 896 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 49 12 ID XiaE8fNk 「……っ」 「……な、あ、あっ!」 両者の反応は予想通りであるので、僕はすでにそっぽを向いて、何も見ていないことをアピールする。 そもそも二人ともそんな場合じゃないだろうに。 上着を脱いで、やどりさんに差し出してやる。 「とりあえず、これ着て! そしたらすぐにその穴塞いで!」 ロケット団の二人、窓を破って入ってくることも考えられなくも無いけど、これだけの大騒動になると、この周囲に警戒が集まっているはず。 つまり外にでればその瞬間、下手したら集中砲火を浴びせられることになる。 さらにあの二人は大分消耗しているはず。 窓の強化ガラスを破るのにも苦労するはずだ。 ランの熱波を避けるためにも、彼らの追撃をかわすためにも、まずはこの穴を塞ぐべきだ。 ちょうど計ったように穴から炎が噴き出し、僕達を焦がす。 一触即発であった香草さんとやどりさんもこのことで頭が冷えたらしい。 二人して急いで穴を塞いでいく。 そのとき僕は気づいてしまった。 僕の上着は度重なるダメージを受けてボロボロになっており、やどりさんの大事な部分がまったく隠れていないことを。 普段なら嬉しいんだけど血の気が引いていく。もしこれに香草さんが気づいたら。 彼女も必死だったのか、幸いにも香草さんはそのことに気づくことなく、穴を塞ぎ終わった。 同時に、地響きがし、建物が大きく揺れた。 隔壁ごしでも熱が伝わってくる。 他の場所での戦いはどうなったんだろう。 通信機器が壊れている今、僕にそれを知る術はない。 「もう少し離れよう、ここじゃ危険だ」 隔壁を警戒しておきたいんだけど、それよりも僕達の安全が優先だ。 建物が何だか傾いてきている気がする。 もしかして、この建物はもう保たないのかもしれない。 結局、ロケット団から人々を守ることは出来たものの、ラジオ塔を守ることは無理そうだ。 僕達が隔壁から大きく離れたころ、ひときわ大きな爆発が起こり、隔壁が吹っ飛んだ。 「ぐうう!」 やどりさんが超能力で器用に僕達に飛んでくる大きな瓦礫を逸らし、力を壁のようにして小さな破片からも僕達を守る。 香草さんも光の壁とリフレクターを発動し、ダメージを低減した。 先ほどまで僕達がいたところは見事に吹き飛んで、跡形もなくなっていた。 隔壁があった場所の向こうには、ちょうど円の形をしたクレーターが出来ていた。 すべてが赤熱し、何もかもが赤く融け、まるで溶岩でも噴き出したかのようになっている。 これを、ランがやったのか。 肝心のランも、影も形も無い。 これほどの熱を発したんだ。おそらく彼女も…… 「ラン……シルバー……」 駄目だ、ここにいても熱で肌が焼かれる。 僕は瓦礫の影に屈みこんだ。 く……どうして、どうしてこんなことに…… ロケット団を撲滅し、大勢の人を救おうとした結果がこれだ。 僕達は、一体何のために…… 「ゴールド、危ない!」 その言葉を聞くか聞かないかのところで、体が勝手に浮き上がり、後方に吹っ飛ばされた。 その直後、僕のいたところに小規模の爆発が起こる。 そこには黒い塊が突き刺さっていた。 これは、ハシブトの不意打ち? そんな、まさか! そこには、血まみれでボロボロのハシブトと、ロケット団の男が立っていた。 顔面も含め、いたるところに酷い火傷が見られる。 しかもハシブトの腹部には、大きな瓦礫が突き刺さっていた。 生きていたなんて! どうやって逃げ延びたんだ!? とはいえ、相手は満身創痍。もう勝負は付いている。 「お前ら……もう諦めろよ……」 こいつらのせいで、シルバーは死んだ。 それなのに、不思議と彼らに対して強い怒りは沸かなかった。 あるのはただただやるせなさだ。 復讐という形ですら、もうこいつらと関わりたくない。 香草さんが両手から蔦を伸ばし、ハシブトと男を拘束した。 「俺バァ! 成功ズル! 成功ジデ、ノシ上がッデ、ゴノ国を変エデヤルんダァ!!」 口から血の泡を飛ばしながら、男がそう怒鳴る。もうその目に正気は無かった。 男の言葉が、やたら気に障った。 「そんな幼稚な妄想のために、どれだけの人間を犠牲にしたと思っているんだ、お前はぁああああ!」 僕は体当たりを食らわせ、男を押し倒す。 咄嗟に、鋭利な瓦礫が目に入った。 僕はそれを両手で掴むと、思いっきり振りかぶり、男の胸に突き立てた。 その切っ先は骨に当たり、骨の隙間にずれ込むようにして肉の中にめり込んでいく。 「ぐ、ヌオオオオオオオオ!!」 それは、酷い断末魔の叫びだった。 彼の死に顔は、間違いなく僕の見てきた中で一番酷いものといえるだろう。 大悪党に相応しい、悲惨な末路だ。 897 :ぽけもん 黒 28話 ◆wzYAo8XQT.:2012/01/30(月) 23 49 30 ID XiaE8fNk 「はぁ、はぁ。はは、ざまあみろ」 僕はその悲痛に歪んだその死体に、そう吐き捨てた。 脱力し、瓦礫の山にへたりこむ。 終わった。これで全て終わったんだ。 ロケット団の作戦は完全に失敗した。 肝心のラジオ塔が全壊してしまったんだから、僕達の作戦も成功とは程遠いけど。 しかし僕の胸に去来するのは達成感でも、勝利の愉悦でもなく、ただ空虚のみだった。 何も得ることが出来なかった。 ただ失うだけの戦いだった。 シルバー。 この作戦が成功するには、やっぱりお前が生きてなきゃ駄目だったんだよ。 僕じゃなく、お前が…… 虚しさに支配され、呆けている僕の腹部に、突如強い衝撃が走った。 腹部にめり込んでいるのは鳥の翼。 真っ白になる視界に、驚愕している香草さんの顔がうっすらと映る。 香草さんの前には、確かに縛られたハシブトの下半身があった。 コイツ、まさか、自分の下半身を引きちぎって!! 誰もが想像もしていなかった。 それゆえ、誰も反応することが出来なかった。 飛行なんていうまともなものじゃなく、ただの勢い任せの突進。 しかしそれは、それでも僕を壊れた窓の外に投げ出すのに十分な威力だった。 「グギャギャギャギャギャギャギャ!!」 野太い、狂ったような叫びが、どんどん僕から遠くなっていく。 僕が落ちているから。 下は瓦礫。 助けてくれる人はいない。 つまり、死ぬ。 僕は呆然と落ちていった。 何の感慨も沸かない。 こういうときには、今までの思い出が走馬灯のように見えるって言うけど、そんなこともない。 その代わり、世界がスローモーションで見えるってのは本当だったようだ。 僕が落ちた窓が、酷くゆっくりと遠ざかって行く。 なんだか酷くあっけない。 シルバーも、こうだったのかな。 ランは……そんなことはなさそうだな。 彼女は最後までシルバーのことだけを想って死んでいったのだろう。 「ごーるどぉおおおおおおお!!」 誰かの絶叫が、僕の耳に届く。 ああ、最期だってのに、ちっとも香草さんのことが頭に浮かばなかった僕は、だめな彼氏だな。 そう思った。 世界がどんどん加速していき、体に強い衝撃が走った。 「ううっ!」 痛みで呻くが、あんなに高いところから落ちたにしては随分大したことの無い痛みだ。 あんまりに強い痛みだから感覚が麻痺してるのかな。 それに、何だか風を感じる。 まるで空を飛んでいるみたいだ。 「ごーるどぉ!!」 大声で呼びかけられた。 まるですぐ傍から呼びかけられたような…… 目を開けると、僕は本当に空を飛んでいた。 な、なな、これは!? 「会いたかったです! ごーるどぉ!」 「ポポ!」 首を上げて見えたのは、満面の笑みで笑うポポの姿だった。 僕はちょうど彼女の両足に掴まれている形らしい。 「ポポ、君が助けてくれたんだね!」 地面に落ちる寸前のところで、彼女に救出されたのか。 「はいです!」 久しぶりに見るポポは以前と何も変わりなく……いや、以前よりさらに力強く、美しく見えた。 「ポポ、ありがとう」 今まで張り詰めていた緊張の糸が切れ、僕は意識を失った。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2221.html
814 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 10 45.86 ID Nn8VuQXE [2/9] シルバーが去ってしばらくした後、僕は大事なことに気づいた。 僕はどこで連絡を待てばいいんだ? 今いる丁子町は旅の順路から大きく外れている。 ポポの治療が終わるまではそれを言い訳に滞在できるけど、それもどれくらいかかるか分からない。 一日二日で治らない時点でよっぽど重症だったことはうかがえるが、ポケモンセンターの医療技術は異常と言ってもいいくらいだ、油断は出来ない。 治療が終わったなら順路に戻らなくてはならないわけだけど、例えば槐市や浅葱市にいたならともかく、海の向こうの丹波町にいた場合、連絡が入ってすぐに動くというのも難しくなる。 奴は僕の連絡先を知ってるけど、僕は奴の連絡先を知らない。 はあ…… 先ほど気づかなかったことに溜息が出てくる。 ……後悔しても後の祭りか。 とりあえず、ポケモンセンターに戻ろう。 「その前に、何があったのか、教えてよ」 「ポケモンセンターに戻ってから言うよ」 ベッドに腰掛け、香草さんとはぐれてから道中あったことを説明する。 「ゴールド、大丈夫なの!?」 通行所でのシルバーとの戦いのくだりで、香草さんは興奮した様子で聞いてきた。 「大丈夫だから今こうしてるんだよ」 「よかったぁ……そうよね、私ったら馬鹿みたい。ゴールドが危険な目に会ったって聞いたら頭が真っ白になっちゃって。あ、これはその……」 恥ずかしげにそう答える香草さんは、とても可愛かった。 そうして、香草さんは不安げな様子で僕の話を聞いていたが、最後まで話し終えると、はぁ、と息を吐いた。 そのまま、柔らかに僕に抱きつき、言う。 「ゴールド、その、い、生きててくれて、ありがと」 甘い香りがふわりと広がり、僕は照れくさい気持ちになった。 ガラ、とドアがスライドする音がする。 見ると、やどりさんがこちらに背を向けて、部屋から出て行くところだった。 「やどりさん、どうしたの?」 「……少し、席をっ……外す……」 彼女はか細い声でそう答えると、すたすたと去っていった。 僕はそんな彼女の様子を何も疑問に思わず、無言で見送った。 「後は香草さんも知ってのとおりだよ」 「うん、分かったわ。それでシルバーに対してあんな態度だったのね」 「……うん」 「……でもゴールド、シルバーの言うことをそのまま信用するのは……」 「分かってるって。でも、シルバーと関わればどの道ロケット団に関われるってのは間違いない。シルバーの言っていることが正しいのなら協力してロケット団を潰せばいいし、もし違うのなら、シルバーを倒してランを助けるだけだよ」 「……ゴールド、私、ゴールドが危険な目に会うのは、イヤよ……」 「大丈夫だって。……それに、もしもの時は、か、香草さんが守ってくれるんでしょ?」 恥ずかしくて二人とも顔が真っ赤になる。 「ねえ、ゴールド」 「何?」 彼女は太ももの上で落ち着かなさ気に両手を弄っている。 「そろそろ、香草さん、じゃなくて、な、名前で呼んで欲しいな」 「な、名前?」 確かに、いつもでも苗字にさん付けとは他人行儀かもしれない。 僕は誰にでも苗字にさん付けするのが基本だったから気にならなかった。 「べ、別に香草さん、って呼ばれるのが嫌って訳じゃないのよ? でも、折角だし……」 確かに、こ、恋人になったというのに、いつまでも名字にさん付けじゃ少し他人行儀かもしれない。 「そ、そうだね。じゃ、じゃあチコ……さん」 「……はぁ。さん付けはいらないのに」 「ご、ごめん」 「いいわよ。一歩前進したしね」 認めてもらえてよかった。 どうもまだ香草さんを呼び捨てにする気にはなれない。 これは今まで体に刻まれた恐怖のせい……いやいや、ただの照れと遠慮さ。きっとそうさ。 会話が途切れ、少し無言の時間が流れる。 窓の外を眺めていると、後頭部に強い視線が突き刺さりまくるのを感じる。 ここまで強い視線を感じると、多少振り返るのが怖くもある。 しかし視線責めに負け、振り返ると、香草さんは頬を染めて僕をじっと見ていた。 815 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 11 45.12 ID Nn8VuQXE [3/9] 「どうかしたの?」 「ううん……幸せだなぁって思って」 こんな素直に感情を表されると、こっちが恥ずかしくなってしまう。 「そんな、大げさだよ」 「私、ゴールドと一緒にいれるってだけで胸がどきどきして……全身が熱くなって……でもとっても幸せな気分でね……ゴールドもそう思ってくれていたらいいなぁって思うの」 「も、もちろんだよ」 「ねえゴールド……」 「な、何?」 「キ、キス、して」 香草さんはそう言って目を閉じ、真っ赤になった自分の顔を突き出してきた。 自分の顔も赤くなるのが分かる。 僕はおずおずと距離を詰め、口付けを行った。 自分の唇に、独特の弾力のあるものが当たってるのが分かる。 そのまま離れようとした僕に香草さんが抱きつき、そのままついばむようなキスを数度重ねる。 慌てて薄目を開けると、ちょうど香草さんも離れた。 瞳は潤み、顔は赤く、唇は煌いている。 ものほしそうに唇に指を当て、はあ、と熱っぽい溜息を吐いて、口の周りを舐め取った。 様子、振る舞い、どれをとっても魔力と言ってもいいような色気に溢れていた。 僕は思わず唾を飲み下す。 僕は耐え切れず、香草さんを抱きしめ、唇を貪った。 数秒後、香草さんの動きが無いのに気づいて、正気に返った僕は慌てて離れた。 「ご、ごめん!」 香草さんは呆けたような顔で僕を見ていた。 「全然いやじゃなかったよ」 そのまま柔らかな笑みを作り、言う。 僕は頭がくらくらしてきた。気が遠くなりそうだ。 まったく自分が制御できていない。今にも香草さんに襲い掛かってしまいそうだ。 普段の僕なら手を繋ぐことも照れくさく思うのに。 いったい僕はどうしてしまったんだろう。 「ゴールド……」 彼女は両手で包むように僕の手を取り、それを自分の胸に導く。 僕はなされるがままだ。 「ほら、私の胸、こんなにどきどきしてる……ゴールドのこと好き好きって言ってるよ」 確かに、香草さんの胸からはドクドクという心臓の拍動が伝わってくる。 客観的に見ればただ繰り返す単調なリズムなのに、どうしてこんなにも愛おしく思えるんだろう。 お返しに、僕も香草さんの手を取り、自分の胸に当てる。 「僕も、こんなにドキドキしてる」 「本当ね」 彼女はそういうと、そのまま顔を僕の胸にうずめた。 僕はそれを包むように抱きしめる。 そうして、しばらく彼女の体温を感じていた。 突然、ガチャリという音がして、僕達は飛び上がった。 振り返ってみると、口の開いたリュックの中身がベッドから落ちただけだった。 ただそれだけのことなのに驚いたお互いが可笑しくて、どちらともなく笑いあった。 この度が始まってから、一番穏やかな時間が流れていた。 それから数日は毎日、朝から晩までこんな様子で過ごした。 部屋でイチャイチャしたり、町でデートしたり、とにかくベタベタしていた。 やどりさんは気を使ってくれているのだろう、毎日朝早く一人でどこかへ行き、夜遅くに帰ってきた。 一週間もした頃だろうか、香草さんのデートの最中、突然ポケギアが鳴った。 表示されるのは見覚えの無い番号。 少し身構え、それに出る。 「……もしもし」 「俺だ。奴らの狙いが分かった。奴ら、古賀根街のラジオ塔を占拠するつもりだ。 「ラジオ塔だって? 何のために?」 「知るか。とにかく、そういうことだ」 「待て、詳しい打ち合わせがしたい。古賀根街で一度会えないか?」 「……難しいな」 「それを何とかするのがお前の役目だろ。まさか、無策で突っ込む気かよ」 「いけないか?」 頭を抱えたくなった。 816 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 12 23.57 ID Nn8VuQXE [4/9] 「いけないに決まってるだろ。まったく、お前は昔っから……とにかく、敵戦力とラジオ塔の見取り図、あとロケット団の細かい計画を調べてくれ」 「相変わらずお前は口ばっかだな」 「ブレインと言ってくれ」 「ギャハハハハハハ! ブレインはねーよ!」 そう言ってシルバーは大笑いしている。 電話を聞いてきた香草さんの眉がピクリと動くのが見えた。 ひとしきり笑った後、シルバーは苦しそうに話し出す。 「……あー、息が苦しくなるほど笑ったのは久々だ。やっぱお前面白れーわ」 「そりゃどうも」 「分かった、三日以内に古賀根街に来い。後は追って連絡する。それと、何か電話口で声を変える方法考えておいてくれ」 「声?」 「ランにお前の声を聞かれちゃまずいからな。声が違えば協力者ってことで誤魔化せるかもしれない。あ、だからって絶対に女は出すなよ? アイツ頭おかしいからな。もし俺が女と話そうものならもう手がつけられん」 なぜか電話越しのシルバーの声が急に老いたように思えた。 ……苦労してるのか。 「とにかく、そういうことで」 そう言うと、奴は一方的に電話を切った。 切れた電話を、僕はぼんやり眺める。 「ねえ……本当にやるの?」 香草さんが心配気に聞いてきた。 元々香草さんは乗り気でなかったもんな。 計画が現実味を帯びてくるにつれ、気は重くなる一方だろう。 「大丈夫だよ。ああ見えてもシルバーはできる奴なんだ」 「なら、ゴールドがいなくてもアイツ一人でいいじゃない!」 「……やっぱり放っておけないよ。昔っから考えるよりまず行動って奴だから」 「でも、ゴールドが危険な目に会うことは無いじゃない! シルバーなんかよりゴールドのほうがよっぽど大切よ!」 「香草さん、これは僕の問題でもあるんだよ。ロケット団を倒すことで、僕は過去にけりをつけたいんだ」 香草さんが悲しげに俯く。 彼女もきっと分かっているんだろう。 僕が過去に抱えている未練を。 五歳のあの日。 あんな事件さえなければ、今とはまるで違った日々があっただろう。 シルバーは家を失うこともなく、ランは親を失うこともなく。そうしてきっと今頃はシルバーとランも正式な旅の参加者で、僕とは互いにライバルとして切磋琢磨して、互いを高めあって…… でも、そんな未来は訪れなかった。 だから、ロケット団を倒すことで、過去を終わらせたいというのは僕の正直な気持ちだ。 だけど、それ以上に。 アイツは……シルバーは、ロケット団を倒したあと、どうするつもりなんだろう。 僕と同じように過去を清算して、それで先に進むのならいい。 アイツのしたことはたとえ犯罪者相手だとしても許されることではないけれど、僕はそれを裁くつもりは無い。 でも、アイツが計画を急ぐのは。 もしかしたら、アイツはロケット団相手に死ぬつもりじゃないか。 そう思えて不安なんだ。 生きて罪を償えとかそういうことじゃなく。 僕はアイツに死んでほしくなかった。 つい先日まで、自分で殺そうとしていた相手に死んで欲しくないと思うなんて滑稽かもしれないけどさ。 白々しさを覚えつつも、僕は俯く香草さんを抱きしめた。 彼女は僕により密着するように体を押し付け返してきた。 出発の準備を終えた僕は、ポポの容態を見に行った。 三日後と言われれば、今日中にはここを発ちたい。 もしポポが飛ぶことは無理でも、歩いて旅を出来る状態になければここに残しておくつもりだ。 女医さんに聞いたら、どうもまだここから動ける状態には無いらしい。 当然といえば当然だけど、少し心が痛む。 急用が出来たので一旦古賀根市に戻らなければならないといって、ポポをここにおいていく許可を取り付けた。 最後に一目彼女を見ておきたくて、看護婦さんにポポの病室まで案内してもらった。 ポポはちょうど胸まで毛布をかけて眠っていた。 彼女に直接話をしなくてすむことに、少し安心する自分が嫌になる。 817 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 12 58.43 ID Nn8VuQXE [5/9] 肩が覗いているので、薄い水色をした患者衣に着替えているのが分かる。 毛布の上に翼は投げ出されていて、それには白い包帯が巻かれていた。 穏やかな顔で、安らかな寝息を立てる彼女を見て、少し涙ぐみそうになる。 こんな大怪我をさせてしまった。僕は本当にトレーナー失格だ。 そして、僕はそれでもこれからまた危険な場所に自ら赴こうとしている。 大切な人を巻き込んで。 トレーナどころか人間失格だ。 それでも、僕は進みたいんだ。 ごめん、そしてさよなら、ポポ。 全部終わったら、そしたら、皆が幸せになれる、そんな未来のために尽力しよう。 そう決意し、病室を後にした。 ポポを置いていくことを告げると、香草さんは少し嬉しそうだった。 すぐにポケモンセンターを後にした僕達三人は、ただひたすらに古賀根市を目指した。 日が暮れ、次の日が昇る頃には湖に突き当たった。 相変わらず水面は穏やかだ。 「やどりさん、お願いできる?」 「うん」 水に入るやどりさんに捕まろうとしたところで、 「ちょっと待った!」 と香草さんに止められた。 「どうしたのチコさん?」 「わざわざやどりに頼る必要なんて無いわよ。見てて」 彼女はそういうと、無数の蔦を出し、編み上げて湖の上に置いた。 その上に飛び乗ると、次から次へと蔦を出し、その上を歩く形で湖の上を歩いていく。 ええ? 自分から出ている蔦の上に乗って歩く? これって物理的におかしくないか? いやでも現に歩けてるし、おかしくないのか? 「ほら、はやく」 軽く混乱状態に陥った僕の手を取り、彼女はどんどん先に進む。 いやホントにどうなってんるんだこれ。 実際に歩けていながらも、自分が歩けていることが不思議でしょうがない。 「やどりさんも、この上歩いたら?」 「……いい」 僕がそういうと、彼女は顔を半ばまで水に沈め、ぶくぶくと泡を吐きながら泳ぐ。 自分の出番を奪われて拗ねてるんだろうか。 湖を踏破すると、今度は廃墟と化した通行所に突き当たった。 瓦礫が避けられ、一応通れるようになっている。 ここの景色を見たことで、数日前の悪夢が蘇ってくる。 まったく、あの後の僕は酷い有様だった。 「ここがランと戦ったって場所ね」 香草さんの言葉に、僕は無言で頷く。 「心配しなくても、ちゃんと勝つわよ、私は」 香草さんは自信満々に笑う。 相性がよろしくないんだから少しは心配して欲しいものだ。 何せ水すら消し飛ばすような熱だ。 植物がどうなるかなんて、周囲の黒変した木々を見れば明白だ。 少し想像してしまい、背筋に悪寒が走った。 「あ、もしかして、ゴールド、具合悪いの?」 憂鬱が表情に出ていたのだろうか、香草さんは途端に不安げに顔をゆがめて僕の顔を覗き込んでくる。 「ち、違うよ。ただちょっとこのときのことを思い出していただけだよ」 「そうね、あいつらはゴールドを傷つけたんだもんね、許せない」 「チコさん!」 「あ、ご、ごめんなさい。私ったらつい熱くなっちゃって……」 そういう香草さんは強く両手を握り締めていた。 「これだから、直情馬鹿は、困る」 毒を吐くやどりさんを睨むだけで済ませたのは香草さんに余裕があるからだろうか。 「あんな役立たず共と違って、私はちゃんとゴールドを守ってあげるからね」 あ、気のせいだった。 818 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 13 51.23 ID Nn8VuQXE [6/9] しかし、ポケモンと人間の差はあるとはいえ、女の子達に守ってもらってばかりで、僕は本当に形無しだな。 ランに負けたことに関してはやどりさんも言い返せないらしく、悔しげな顔で黙っていた。 「チコさんもそんな言い方しない。それに、この辺を見れば分かるけど、彼女は本当に強いんだ。嘗めてかかっちゃ駄目だよ」 「ご、ごめんね、そんなつもりじゃ……」 おろおろと泣き出しそうになる彼女を軽く抱き、耳元で囁く。 「僕は僕より香草さんが傷つくほうがいやだよ」 ああ恥ずかしい。 しかし正直、彼女の情緒が不安定になるたびにこういう甘い台詞を吐くのも、それを受けて本当に可愛らしい反応をしてくれる香草さんを見るのも、まんざらじゃなかった。 こうしてイチャイチャしてたら槐市に着いた。 ここのポケモンセンターで一泊し、翌朝、早朝から古賀根市に向けて出発した。 香草さんはこの世のありとあらゆる全てに感謝しかねない勢いでご機嫌だが、やどりさんはもはやこの世界に朝は訪れないんじゃないかと錯覚するくらい暗い。 半ば死地に赴くのだから香草さんのテンションのほうが異常なのだが、やどりさんの低いテンションも正直なんとかしたい。 通行人がひぃっと短い悲鳴を上げていくのは多分気のせいじゃないはずだ。 夕暮れ前には古賀根市についた。 というか道中、野生のポケモンや動物に一切あわなかった。 何かよく分からない力でも働いているのか、それとも。 早々に宿を取ると、シルバーからの連絡を待った。 訂正しよう。香草さんとデートをしていた。 いやあ、のんびりするのも楽しいけど、こうやって街で遊ぶのも楽しいね。 僕は今まさに人生の春を謳歌しているよハハハ。 と、突然ポケギアが震えた。 まったく、折角のデート中に誰だよ、無粋な奴め。 苛立ちながら画面を見ると、見たことのない番号だ。 出ると、案の定シルバーだった。 そりゃシルバーならしょうがないよな。あいつはそういう奴だ。 おいおい、少しは空気ってものを読めないと女の子にもてないぜ? もちろん僕は勝者で余裕があるからその程度で目くじら立てたりしないけどさははは。 「ゴールドか?」 「ああ」 はあ。現実逃避のために少々おかしくなっていたテンションが急速に現実へと引き戻される。 「どうした? 禿げそうな声だして」 「うるさいな、どんな声だよ。それで何の用だ?」 僕は香草さんに目配せして、折角のデートが中断されたことを心の中で詫びた。 「お前が色々細かいこと言い出したから電話したんじゃねーか。それで、ちゃんと古賀根街にはついてるんだろうなあ?」 「当たり前だろ。時間が余りすぎてデートが出来るくらいだ」 「ははっ、デート? お前が? ありえねえ。相手がいねえだろ」 そう言って彼はまた大笑いしている。 「ふっ、若葉さんちのゴールドちゃんと言えばご近所でちょっとした有名人だったんだぜ? 僕の流し目一つで、女達は我が我がとお菓子を差し出して来たさ」 小さいころはかわいいかわいいと、そりゃあ持て囃されたものだ。……近所のおばちゃん方にだけど。 「すまん、その、なんつーか……悪かった」 「謝るなよ! それじゃ僕がまるで痛い人みたいじゃないか!」 「痛い人っつーか……いや、そういやお前と漫談してる暇は無いんだった」 「お前のせいだろ。つーか暇が無いって、そんなに計画は近いのか?」 「……いや、ランが、な」 シルバーの声が一気にトーンダウンする。もしかしてこれが彼が先ほど言った禿げそうな声ってやつなのか? 「……心中お察しするよ。というか、アレは何なんだ? どうしてあんなことになった?」 「俺が聞きてえ。お前幼馴染だろ、何かわかんねえのか。わかんねえだろうな、お前昔っから鈍かったからな」 「十年一緒に逃避行してて、それでもまだ分からないほど鈍い奴に言われたくねえよ」 「……お前、本当に大変だったんだぞ……大きな声じゃ言えないけどな……」 820 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 14 27.86 ID Nn8VuQXE [7/9] シルバーの声は冗談っ気の無い真剣そのもののものだったけど、僕ははっきり言って事態を甘く見ていた。 端的に言えば、ランの狂気を嘗めていた。シルバーは正気を保って生きているだけで敢闘賞ものだということを理解していなかった。 「僕だって大変だったさ。それで、計画のほうはどうなんだ?」 「ああ、お前に言われたことは大体調べた。データ化してポケギアに送っとくから細かいことは勝手に考えろ」 「出来れば会って話がしたい」 「そりゃそうだが、どうも厳しそうだ。ランの目を誤魔化せる気がしない。計画の決行自体はまだ二週間近く先だから、もし機会があったらこっちから連絡する。送るデータに緊急時の連絡先を書いとくが、よほどのことが無い限り連絡するなよ。殺されるからな」 「誰が?」 「お前が、だよ」 「そんなこと……」 「言いたいことがあるのは分かるが、もう切るぞ。遅くとも二週間後に会おう」 彼はそれだけ言うと、一方的に電話を切ってしまった。多分リダイアルしても無駄だろう。 軽く溜息を吐いて振り返ると、香草さんが額に青筋を浮かべてこちらを見ていた。 「……どういうことよ……女達にモテモテだったって」 女達にモテモテ? 何のことだ? 僕は自慢じゃないが生まれてこの方女の子に囲まれてもてはやされるようなことは一度も無かったんだけどな。 「もしかして、さっきの冗談のこと?」 そこまで考えて、それに行き当たる。 冗談以外に誤解の仕様が無い言葉だと思ったんだけれど…… 「冗談? そ、そうよね! ゴールドが女にモテモテなわけ無いものね!」 彼女は引き攣っていた顔をパアッと綻ばせ、嬉々としてそう言う。 いや、確かに事実だけどそんな嬉しそうに言わなくても…… 「あ、ち、違うのよ。別にゴールドがもてなくて嬉しいとかそういうことじゃなくて、いや嬉しいんだけど、その、違うの!」 「大丈夫だよ、分かってるから。それに……」 「それに?」 「チコさんにだけもてれば、それで十分だよ」 彼女は顔を真っ赤にし、手を胸の前で震わせ、オロオロしている。 そしてそのまま何事かを呟きながらゆっくりと後ろに倒れていった。 「チコ!?」 倒れかける彼女を咄嗟に抱きかかえる。 「……しあわせすぎてしにそう」 彼女は平坦な口調でなにやらブツブツを言っている。 人々の視線が向けられているのが分かる。 さすがに公衆の面前でこれは恥ずかしい。 馬鹿ップル死ね! 照れ隠しにそんな自虐をして、その後しばらく香草さんとのデートを楽しみ、ポケモンセンターに帰還した。 やどりさんの姿はなく、ちょっと出かけてくるとの書置きがあった。 帰還するとすぐにポケギアに送られてきていたデータを展開し、考証する。 僕は冒頭から早速驚愕させられることになる。 一枚目の内部文書と思われる書類。 そこにはでかでかと、ラジオ塔乗っ取り計画、と主題が書かれていた。 821 名前:ぽけもん 黒 25話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/05(木) 23 15 08.90 ID Nn8VuQXE [8/9] ラジオ塔とは古賀根市にシンボル的に聳え立っている電波塔兼番組製作所のことである。 ら、ラジオ塔乗っ取り? 二つの意味でびっくりだ。 一つは、大都会のシンボル的有名建造物を狙う大胆さ。 もう一つは、ラジオ塔を乗っ取る意義がまったく分からないことだ。 だってラジオ塔だよ? 兵器も道具もない。数年前のシルフカンパニー乗っ取りはまだ納得できたけど、ラジオ塔なんて乗っ取ったところで何が出来ると言うのか。日がな一日毒電波でも発し続ける気だろうか。 しかもこんな人目につく、人口の多い場所で。 人口が多ければ当然それを管理する人間の数も多い。シンプルに言えば、警官がたくさんいる。 しかもラジオ塔は目立つ。とっても目立つ。 まるで狙う意味が分からない。 すぐに嘘の情報を掴まされたんじゃないかと言う懸念が頭を過ぎる。 しかしその資料を読み進めるにつれ、恐怖で血の気がみるみる引いていった。 顔が青いと香草さんに心配されるほどだ。 あの集団頭痛事件はやっぱりロケット団の仕業だったらしい。 この資料によると、ロケット団はポケモンがある種の大域の電波から影響を受けることを発見していて、それについて研究を進めていたらしい。 その研究の成果がアレというわけだ。 全てのポケモンが一斉に行動不能になれば、当然人間社会は成り立たない。 そしてあのラジオ塔の電波が有効に届く範囲は国土の半分以上だ。 そこであの電波を流されたら…… 丁子町の再現が、全国規模で起こる。 社会がひっくり返ってしまう。 きっと、それが最終目的じゃないだろう。 狙いはおそらく、騒ぎに乗じた国の中枢機能の乗っ取り。 今この国は、喉元に刃を突きつけられたも同然だった。 電波がポケモンに影響を与えるなんて話、今まで聞いたことも無く、俄かには信じがたいだろう。 あの丁子町の件を知らなければ、だけど。 なんてことだ。 事態は、僕の想像よりもはるかに重大で広大だった。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2632.html
695 名前:ぽけもん 黒 30話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 00 37 57 ID KKK.SerE [2/8] あれから、どれほどの時間がたっただろうか。 闇夜を疾走する中で僕は意識を失い、再び意識を取り戻したときには、僕は薄暗いどこかにいた。 手に触れる岩の感触と特有の冷えた空気からして、どうやらここは洞窟らしい。 微かな光を頼りに、光の方に歩いていってみると、程なくして洞窟は終わり、外が見えた。 しかし外からは洞穴の出入り口に似つかわしくない強風が吹き込んでくる。 僕は黒い予感に心臓を逸らせながら、しかしそろそろと洞窟の端まで近づくと、そこから見える光景は、やはり僕の予想通りのものだった。 遥か眼下に広がるのは広大な森、そして海、もしくは大きな湖。 地上にある洞窟の高さから見える景色ではない。 洞窟の終わりはそのまま崖となっているのだ。 いや、この洞窟自体が、崖の半ばにぽっかりと開いた穴だと言ったほうが正しい。 断崖絶壁の中の隠れ家。 確信する。 やはりあれは夢ではなかったのだ。 僕はポポに攫われ、そしてこの洞窟につれてこられたのだ。 この脱出不可能の、天然の牢獄に。 なんてこった。 よろよろと数歩後ずさり、そのまま壁を背に蹲る。 どうしてこんなことになってしまったんだ。 一体なにがいけなかった。 考えてもわかるはずが無い。 分からないから、こんなことになっている。 くそ! 僕は何を間違った! 身を捩ると、カツリと何か固いもの同士が当たるような音が聞こえた。 慌てて確認すれば、それはポケットに入れっぱなしになっていたポケギアのものだった。 た、助かった! 着の身着のままで攫われてしまったから、僕は当然のようになんの道具も持っていない。 よって脱出する手段も、助けを呼ぶ手段も無いと絶望していたけど、まさかポケギアをポケットに入れっぱなしにしていたなんて! よかった。これで全ては解決だ。 急いで電源をいれる、電源は……入った! 電話をかけようとするが……圏外。 そりゃそうだ。 その表示に、はあ、とため息をつく。 流石に電話がつながるのは期待しすぎだったな。 ポポが僕を監禁する目的でここまで連れてきたのだとしたら、当然ここは人里離れた場所だろう。 おまけに崖の中。繋がるはずもない。 とはいえ、何も無いのとポケギアがあるのとでは大違いだ。 今はまだ分からなくても、きっと何かの役に立つはずだ。 そう考えた僕は、ポケギアの電源を切ると、電池を外した。 壁を探ると、ちょうどおあつらえ向きの皹がある。 そこにポケギアと電池を隠した。 最初から何かあると知っていない限り、見つけられるはずが無い。 鳥目のポポならなおさらだ。 とりあえずこれで一安心、か。 息を吐く。 さて、これからどうしようか。 僕を攫ったときのポポはどう見ても正気じゃなかった。 背筋に悪寒が走る。 あんなのと、どうやって向き合えばいいって言うんだ。 現状を認識しても、対策を立てようが無い。 ロケット団を相手にしたときのほうがよっぽどましだった。 数時間が経過したころだろうか。 羽ばたきの音が聞こえてきた。 僕はとりあえずその場で横になり、まだ意識が戻っていないふりをする。 相手がポポならこのまま様子見。それ以外なら、羽ばたきの音から言って相手は鳥か鳥ポケモン。 彼らの中で昼間活動するような連中はみんな夜目が利かない。 だからそのときは走って洞窟の奥に逃げるだけだ。 だけど、そんな心配はおそらく無用だろう。 ポポがそんな危険な場所に僕を放置するとは思えない。 人を監禁するのにこんなもってこいな場所を選択できる程度には冷静なんだから。 ポポの行動は異常そのものだけど、同時に僕に対する執着も本物そのものだろうから。 洞窟に入ってきたのは、案の定ポポだった。 「ごーるどー、ただいまですー」 起きていることを気づかれたか、いや、そんなはずは無い。 何か物を置く音がする。 何か生活に必要なものでも運んできているのだろうか。 荷物を置き終えると、そのままカツカツとこちらに歩み寄ってきた。 耳に息を吹きかけられた。 鳥肌が立つ。 もしかして本当に起きてるのばれてるのか? 頬に何か冷たいものが当たる。 そのままその冷たいものは上の方へと上がっていく。 ドキドキしながら無表情を装っていると、顔が離れていくのが分かった。 696 名前:ぽけもん 黒 30話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 00 39 28 ID KKK.SerE [3/8] ほっと一安心したのもつかの間、ズボンが引っ張られた。 「な、なにをしているんだ!」 僕はズボンを慌てて掴んだ。 「もうきぜつごっこはおしまいですか、ごーるど」 ポポは僕の股間の辺りから悪戯っぽく僕の顔を覗き込んでくる。どうやら口で僕のズボンをずり下げようとしていたようだ。 「き、気絶してる人のズボンをお口で下げようとしちゃいけません!」 「でも、おきてたです」 「ね、寝たふりしてる人のもだよ!」 ポポはぼーっと僕の顔を見ていたが、やがておもむろに再び口で僕のズボンを下ろし始めた。 「ちょ、やめなさい! 何をそれはそうと、みたいな感じで下げようとしてるのさ!」 「でもぉ……」 「でもじゃありません!」 「わかったです……」 彼女はそういうと、引き下がると思いきや、今度は足を使って下げようとしてくる。 「足でも駄目! …………えー? みたいな目で僕を見ない!」 どうもシリアスになれない。 シリアスにならなくても何とかなってるのはいいことなんだけど。 状況から言えば僕は拉致監禁された立場だ。こんなのんきな会話交わしてる場合じゃないのに。 「それより、ここはどこなんだ?」 僕は様子を見つつ、本題を切り出した。 同時に、ポポが僕に襲い掛かる可能性を想定して身構える。 身構えたからって何が出来るってわけじゃないんだけど、それでも気分的に身構えずにはいられない。 ポポはぱあっと笑顔を見せて答える。 「ごーるどとポポの二人のあいの巣です!」 あ、愛の巣!? 「あ、あの、ポポ、ちゃんと言葉の意味分かって使ってるんだよね」 ポポは得意げに、少し胸を張る。 「わかってるですよぅ。ポポを馬鹿にしないでです」 その顔に微笑みを貼り付けたまま、ポポは答える。 「ごーるどとポポの、二人だけの場所ってことですよ。誰にも邪魔されない、二人だけ、ふたりだけです」 やたら二人だけ、という部分を強調する。 「ほ、ほら、みんなでわいわいってのも楽し……」 「ポポは、ふたりがいいです」 ポポはすねたように答える。 まるで子供の可愛い駄々のようだ。 ……ここが世間と隔絶された岩壁の洞窟の中でなければ、だけれど。 「ふたりがいいですぅ……ポポは、ポポはごーるどだけいればいいのにぃ……ごーるどはそれじゃいやですかぁ?」 ポポは涙声で僕に縋ってくる。 その頭に手を置き、ポンポンと撫でてやる。 「……ごめん、ポポ」 「いやです! ポポ、全部、ぜんぶあげるです……だからぁ」 「……ごめん」 しゃくりあげる彼女を優しく撫でる。 やっぱり、僕は…… しばらく撫でていると、泣き疲れたのか、寝てしまった。 その寝顔は無垢な童女そのものだ。 こんなにも、無邪気で可愛らしいのに。 とても人一人を攫って監禁したものの顔には見えない。 いや、その無邪気さが、こんな大胆な行動に走らせたのかな。 とはいえ、ポポはその辺の常識や良識が分からないほどまでは子供じゃない。 しかし話しても分かってくれない。 どうしたものやら…… 長い時間をかけて、少しずつ説得するしかないのかな。 でも、時間が立てばたつほど、事態は大事になってしまう。 香草さんややどりさんは間違いなく警察に訴えに言っただろうなぁ…… 民事不介入とはいえ、流石にこれは無視できる範囲を超えている……よなあ。 子供のおふざけで済めばいいんだけど。……済まないだろうな。 何はともあれ、ここから脱出しないと話が始まらない。 とりあえず、腹ごしらえだな。 僕は抱きかかえているポポを横にしようとする。 「う、ごーるど……?」 すると、当然といえば当然だけど、ポポは起きてしまった。 く、熟睡しているように見えたんだけどな。 野生の勘という奴か、油断しているように見えても、相当に抜け目ない。 「ごめん、起こしちゃった? 大丈夫、寝てていいよ」 「や、ですぅ……ゴールドといっしょにいるですぅ……」 寝ぼけ眼をこすって、僕についてこようとする。 「ただご飯を食べようと思っただけだよ。どこにも行かないよ」 行けない、と言ったほうが正しい。 697 名前:ぽけもん 黒 30話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 00 40 04 ID KKK.SerE [4/8] いや、一箇所だけ、行けるところがある。 天国とか、そういうことじゃなしに。 「ポポ、この洞窟の奥ってどうなってるの?」 そういって僕は洞窟の奥の闇に視線を向ける。 明かりが何もないから進みたくは無いけど、奥行きがかなりあるように思える。 特にこの奥に何も無いとしても、やはり何があるか分からない場所にいるというのは気分がいいものではない。 「危ないものは何も無いですよ?」 ポポは素早く僕の意図を察したようだ。 僕の顔色を伺うようにして、そう答えた。 「ただの壁になってるだけです。ここは、そこ以外では外とつながってないです」 ポポはそう言って翼で洞窟の出入り口を指し示す。 まるで、逃げられないと言っているようだ。 「そう、なら安心だね」 僕がそう言うと、ポポは安心した気に表情を緩ませた。 本当に親の機嫌を伺っている子供みたいだ。 いちいち僕の様子にびくびくしちゃうほど繊細なのに、僕を誘拐監禁するなんて大胆さも持ち合わせている。 本当に、ポポは変わってる。 いや、僕の教育が悪かったのかなあ。 また困ったような顔になったポポを前に、僕は頭を?いた。 さて、僕は現代っ子である。 幼少期はランやシルバーと一緒に山の中を探検したりもしたけども、五歳の子供がいかに山で遊ぼうが、サバイバルの知識などつくはずもない。 シルバーは別だったけど。 そして僕はシルバーの隠れ家が火事になり、ランがシルバーに攫われた(現実には逆だったわけだけれど)あの事件以来、まったく山なんかには踏み入らなくなってしまった。 今までの旅の道程では、シルフカンパニーが販売する便利な道具にすっかり頼りきりで、つまり野宿も多い旅を今まで送ってこれたのは、僕の実力とかそんなんじゃなくて、全て道具の力なわけだ。 そんな文明の利器にすっかり甘やかされきった現代っ子が、着の身着のままで断崖絶壁の洞窟に放り込まれても、できることなんて何にもない。 それでも、現代っ子には肥大した脳みそがついてるんだから、何か解決策を考えないわけにはいかない。 ポポを傍らに、ポポが取ってきた木の実を食べながら、僕は思索を巡らせる。 しかし馬鹿の考え休むに似たりと言うとおり。 屈辱的だけど、まったくいいアイディアが浮かばない。 考え付いたのは、今、僕が口の中で転がしている木の実の種を外に向かって投げることくらいだ。 わー、なんかこのへんたくさん木の実の種が転がっているぞー。 上を見たら洞穴があるー。 あ、人がいるぞー! そして僕は救出される! ……ホントに、休んでいた方がマシと思えるようなしょうもないアイディアだ。 イライラしながら種を吐き出すと、ポポの視線がその種の方を向いた。 ためしに転がった種を拾い上げてみる。 ポポの視線はその持ち上げられた種を追う。 下げる。視線も下がる。上げる。再び視線が上がる。 ポポは物欲しそうに、僕が吐き出した種を見つめている。 ポポ、いくら君が幼いとは言っても、親鳥から口移しで餌を貰うような小鳥じゃないだろう? そんな感想が一瞬頭を過ぎり、そして打ち消す。 いや、ポポは僕に、親以上のものを求めている。 その由来が親を求める感情だとしても、現在ポポが僕に向ける感情は間違いなく恋愛対象に向けるそれ、いや、並みの恋愛対象に向けるそれの比ではない。 僕が種を外に向かって放り投げると、ポポの視線も種を追って谷底に落ちていった。 そのまま取りに行きかねない勢いだ。 はあ、とため息を一つ。 「何か欲しいものあるです?」 僕のため息を不満の表れと考えたのだろう、ポポは僕に媚びるように僕の顔を覗き込む。 「みんなのもとに戻りたい」 叶えられるわけが無いと分かっていて、意地悪を言った。 「それはだめです。……他には?」 ポポは一転、冷たい目をして即答した。 普段は素直なのに、これに関しては非常に強情だ。 「ねえポポ。このままじゃ、本当に取り返しのつかないことになるんだぞ」 何回目だろうか、僕はポポを諭そうと、真剣な顔をしてポポに語りかける。 「取り返し、ってなんです?」 698 名前:ぽけもん 黒 30話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 00 41 00 ID KKK.SerE [5/8] ポポはわけが分からない、といった風に言う。 「取り返しがつかなくなるってのは、そのときを逃してしまうと、後からどんなに後悔しても、もうどうしようも無くなることをいうんだよ。ポポにとっては、今だ」 もちろん、ポポのその言葉が、取り返しがつかなくなるという言葉の意味を問うたものじゃないことくらい分かっている。 だけど、あえて僕はその言葉で返した。 嫌味っぽくなっている。 それこそ、取り返しのつかなくなるという焦燥感から、僕の心がささくれ立っているのかな。 取り返しがつかなくなることを何よりも恐れているのは、間違いなく、僕だ。 ポポはそんなこと一つも気にしちゃあいない。 ポポの焦燥は、僕の焦燥とはまったく違うところにある。 だから、ポポの答えも、僕の思いとはまったく異なるところからよこされる。 「ポポにとって、そのときを逃してしまうと、後からどんなに後悔しても、もうどうしようも無くなることは、ゴールドのことです。他のなんでもないです」 ポポは瞳から涙を零れさせながら、僕に縋り付いた。 僕はほとんど機械的にポポを受け止め、その背を撫でる。 彼女が僕に保護者以上のものを求めていることが分かっているのに、保護者以上のものがない心で僕は彼女を受け止めてしまう。 ああ、僕のこの残酷な心根が、この事態を招いてしまったのだろうか。 「ぽぽはごーるどをぽぽだけのものにしたんですぅ……どうしてわかってくれないです……」 子供染みた駄々をこねるこの子に、僕はどれだけの残酷な仕打ちを、今もしているんだろうか。 彼女の期待に答えられないのに、だからといって見放すことも出来ない。 今の僕は悪なのだろうか。ならば見放すことこそが正義なのだろうか。 堂々巡りで、答えなど出るはずもない。 今更答えが出たところで、どうにもならない。 それが分かっていても、今の僕は、彼女に欺瞞を吐くことしか出来ない。 もう、取り返しなんてつかない。 僕は、世界が、僕の想像ほど残酷でないことを祈った。 水と食料が尽きると、またポポはそれらを得るために飛んでいった。 きっと彼女は僕がいなくならないか不安で仕方がないのだろう。 こんな生活を続けていたら、僕もだが、まず彼女の心が壊れてしまう。 不安は人を壊す。 彼女をこうさせたように、不安という魔物は次はもっと取り返しのつかない方向に彼女を壊すだろう。 僕はどうすればいい。 クソ、分かりきっている。 彼女の気持ちに答える気が無い以上、話はそれで終わりだ。どうしようもない。 たとえ嘘で答えたところで、聡い彼女にはそれが分からないわけがない。 心情的にしたくはないし、仮にしたところで彼女を壊すことに拍車をかけるだけだろう。 どうしようもない。だけど、どうにかして答えを出さないわけにはいかない。 なんて辛い状況だ。 隠していたポケギアを取り出し、再び洞窟の入り口まで出る。 電波は相変わらず圏外。 天気やなにやらの関係で、もしかしたら電波が届くこともあるかもしれないと思ったけど、やはりそんなことは無いようだ。 やっぱり、無理か。 本気で期待してたわけじゃなかったとはいえ、落ち込む。 これさえ繋がれば何の苦労もないんだけれど。 はあ、とため息をつき、上を見上げる。 黒い、影。 気づいたときには手遅れだった。 迂闊、いや、どうしようもなかった。 だって彼女がその気になれば、僕にはどうすることもできないのだから。 ――僕のことを、見張っていたんだ! 「……かなしいです。ぽぽは、とっても、とっても、かなしいのです」 囁くような、しかし僕の耳朶に突き刺さるその声とともに。 ポポは僕の眼前に舞い降りた。 大方、張り出した岩場か何か、とにかく、この洞窟の入り口から死角となる位置に身を隠していたのだろう。 ポケギアを使うに当たって、周囲に不審な影が無いかくらいは確認したのだから。 「そうだね、僕も悲しいよ」 暴れる心臓を必死で押さえながら、僕は努めて平坦な声を出す。 699 名前:ぽけもん 黒 30話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 00 41 30 ID KKK.SerE [6/8] 「ここにいれば、なにも、かなしいことなんかないのですよ? どうしてわかってくれないですか?」 「いいや悲しいことだらけだよ。ここにいても、いなくても!」 僕の叫びに、ポポは眉を顰めるばかりだ。 ポポには僕の言っていることが分からないのだろう。 「どうして分かってくれないんだ、ポポ!! こんなことはもう終わりにしよう。こんなことしても、なんにもならないんだよ!」 結局、こんなことをしても救われることはないんだ、絶対に! シルバーを攫ったランが救われなかったように。あのロケット団の男が救われなかったように。物事の道理から外れれば、待つのは悲惨な結末だけだというのに! ポポが僕に飛び掛る。僕の手から、ポケギアが落ちて硬い石の上を跳ねる。 「じゃあ、じゃあポポはどうすればよかったです! 大事な、ポポの一番大事なものが、ポポからどんどん遠くに行くのを、ただ見てるのが正しかったっていうですか!」 「違う! そうじゃない! そうじゃないけど、でも、君はここで知るべきだったんだよ! 世の中はどうしようもないことだらけだってことを! どんなに欲しくても、失いたくなくても、どうにもならないことがあるってことを! 絶対に無理なことがあるってことを!」 そう、世の中には変えられないことがあるんだ。どんなに願ったって、どんなに望んだって、そうはならないことがあるんだ。 「だから、せめてそうなっていたときの思い出を頼りに、またきっとそうなることを願って生きる。生きるって、そういうことなんだよ!」 「誰も、だぁれもポポのことを知らない世界でですか!」 「知らないなんてことはない! たとえ今は誰もポポのことを知らなくても、いつかきっと知る人が現れる! これは無責任な憶測なんかじゃない! 現われるんだよポポ!」 「それはあの女も同じです! あの女だって、ゴールドじゃない人間がいつか現われますよ! ポポだけ、ポポだけ我慢する理由にはならないです!」 言葉に詰まる。 そうだ、これは理屈じゃない。だから正論に正しく反論することはできない。 僕だって間違ってる。ただ、ポポが僕以上に間違っているだけの話だ。 「ゴールドは間違ってる。間違ってるですよ。ポポは生きなくていいんです。ゴールドが一緒じゃなきゃ、生きなくていいですよ」 悲惨な死。それすら、彼女を恐れさせはしない。 「ポポ……」 彼女が恐れるのは唯一つ。僕を失うこと。ただ、それだけ。 「さあ、選んでです。ポポと生きるか、ポポと死ぬか」 その目には、本物の覚悟が宿っていた。 僕は無性に腹が立つ。その目を受け入れられない。 くそ、どうして皆そんなすぐ死にたがるんだよ! どうして生きようとしてくれないんだよ! 僕は逃げてきた。逃げて、逃げて、逃げてここまで来た。その結末が、これだ。 それなのに彼女達は絶対に逃げたりはしない。どこまでもまっすく、前を向いている。破滅に向かって、まっすぐと、恐れることなく、揺らぐことなく。 ここが僕の手でどうにかなる最後のラインだ。ここで僕の伸ばした手が彼女に届かなければ、後はまっすぐ落ちていくだけだ。 無数の言葉が頭を巡る。どれも話にならない。ポポを説得できる言葉なんて一つも持ち合わせていない。 沈黙が怖くて、僕はつまらない言葉を吐く。 「ポポ、もし僕と生きることになっても、警察に見つかれば逮捕だし、香草さんたちに見つかれば間違いなく戦うことになる。きっとただじゃすまない」 「逃げればいいですよ」 「ポポ、最後まで逃げ続けるなんてことは出来ないんだよ! 追ってくるものから逃げ続けるなんて、そんなことは不可能なんだ! そうなったらもう僕達に平穏なんて二度と訪れない!」 「分からないですよ。チコは案外すぐ諦めるかもしれないです」 しかしその目には、確かに殺意が燃えている。 700 名前:ぽけもん 黒 30話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 00 42 02 ID KKK.SerE [7/8] 分かっていたことだけど、説得は不可能だ。 僕がポポを愛すると言おうと言うまいと、間違いなくポポは香草さんを殺そうとするだろう。 香草さんがいる限り、僕はポポのものにはならない。そう考えるはずだ。 かといってその争いの原因である僕が死ねば、ポポも自ら死ぬだろう。今のポポは、そのくらいあっさりやってのける。 駄目だ。皆が死んだり殺しあったりしない。そんな方法がどうしても考え付かない。 完全に詰みだ。ゲームなら、ここで手仕舞い、終わり、ゲームオーバー。 でも、そうするわけにもいかない。 「やめろポポ! そんなことをしたら、僕はポポを嫌いになるぞ! 僕の娘で、それで満足だったんじゃないのか!」 「いやです! そんなのいやです! でも、でも! ここままじゃゴールドは絶対にポポと一緒にはいてくれないです! ……だから、取り返しがつかなくなってもらうです」 涙で幼い顔を顔をグシャグシャにして言っていい台詞じゃないぞ、それは! 「ポポ、お願いだ、やめてくれ! もし取り返しのつかないことになったら……」 「そのときは、ごーるど、ぽぽといっしょにいてくれますよね」 事態は、もうどうしようもなく取り返しがつかなくなっていた。 その日、ポポは処女を喪った。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2474.html
958 名前: ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 06 59 ID 0qDfGH0o [2/9] ラジオ塔の跡には、テロの慰霊碑としてモニュメントが立てられることになった。 この事件でのロケット団を除く死者、行方不明者は二人だけ。 つまり事実上、その慰霊碑はシルバーとランの墓だ。 モニュメントを立てることを提案したのはラジオ塔の局長らしい。 シルバーとランの話を脚色し、構成しなおし、あっという間に二人をロケット団に人生を翻弄された悲劇の男女に仕立て上げた。 それを元にしたドラマも現在制作中だそうだ。流石、広告というものを扱う商売人なだけあって、よく言えば人心を掴む様なパフォーマンスがうまい。悪く言えば人でなしだ。 ランが作った溶岩溜まりのせいで、改修に多くの金がかかる土地を、たいした金も使わずに見事に有効活用してしまった。 お陰で広告収入は激増、人々の支持もうなぎのぼり、得られた収益は新ラジオ塔を建てても余りあるものだという。 だけど、そんな打算や計算は僕には関係の無い話だ。 僕にとって大事なのは、確かにここに慰霊碑が建ち、そしてそれがテロやロケット団を憎むシンボルとなり、そして二人の死が人々に悼まれるようになったという事実だけだ。 シルバーやランはそんなものには何の価値も見出さないと思うけど、僕にとっては大事なことだった。 確かに、彼らは生きていたんだ。 歪んだ形であれ、彼らの生は多くの人々の中に残ることが出来た。 それが、僕にとってのせめてもの救いだった。 あれから。 地獄より生還した僕達を待っていたのは、警察の猛烈な事情聴取だった。 ロケット団撲滅のためとはいえ、僕達のしたことは明らかな違法行為である。 当然、真実を話したら逮捕は免れないだろう。 ロケット団撲滅に協力してくれた大抵の人間は、普段は社会に属し、真っ当に生きている人間だ。それはまずい。 だから事を起こした後の対応は事前に打ち合わせてあった。 リーダーであるシルバーが死んでしまったから、指揮系統は壊滅かと思われたが、あのシルバーの傍らにいた男が見事にメンバーをまとめて、全員に適切な行動を取らせたようだ。元々、シルバーはただのお飾りで、あの男が実質的なリーダーだったのかもしれない。そうなると自分よりも支持を得られなさそうなシルバーをわざわざリーダーとして立てた意味がいまいちよく分からないけど。 ちなみに僕に与えられたシナリオは、旅の傍ら、観光にラジオ塔に着たら事件に巻き込まれ、ロケット団に襲われたので応戦した、というものだ。 僕の釈明に警察も納得はしていないようだったが、この度の事件で一気にロケット団撲滅の機運が高まり、警察も、それにせっつかれる形で大量の人員をロケット団撲滅に投入することとなったので、僕らの事情聴取に裂く人員も惜しいらしく、また、加害者であるロケット団を放置して、世間的には被害者に見える僕達を問い詰めるというのも、世間の目からすればよろしくないらしく、僕達は程なくして開放された。 今回の事件で一番割りを食ったのは警察と言えなくもない。 彼らは今後、世間から強い不信感を向けられながらも、命すら保障されていない危険な案件に地道に取り組んでいかなければならないのだから。 同情しなくもないけど、僕には関係の無い話だ。 警察から開放された僕達は、そのままポケモンセンターに避難した。単に警察病院からポケモンセンターの病棟に移動になっただけなんだけど。 そう、事情聴取を受ける以前に、僕はまず警察病院に収容されていた。ポポに助けられてから、次にまともに意識を取り戻すまで一週間もかかったらしい。 一週間も意識が戻らないような重症だ、警察の事情聴取が終わっても当然退院できるような状態ではなかったというわけだ。 ポケモンセンターに移り、警察からの事情聴取から解放されたと思ったら、今度はマスコミの取材に晒される羽目になった。 根掘り葉掘り話を聞かれるくらいならまだいい。それどころか、中には事件とぜんぜん関係ないことを調べたり、勝手なシナリオを自分の中で組み立てて、そのシナリオに欲しい証言を無理やり引き出そうとするものまであった。一部ゴシップ誌では、僕は立派な犯罪者として扱われていることだろう。見てもいないけど。 香草さん、やどりさん、ポポが復活してからは、三人で、犯罪紛いの方法で記者たちを撃退してくれたみたいで、ようやく平穏が訪れた。 彼女らのやり方が正しいとは思えないけど、事件からずっと休む間もなかった今の僕にはありがたかった。 959 名前:ぽけもん 黒 29話 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 07 52 ID 0qDfGH0o [3/9] 一度だけ、あの男から連絡があった。 反ロケット団のメンバーで再び会わないか。と。 迷うことすら無く断った。 今の僕には、興味も無いことだった。 それに、もうこれ以上ロケット団と関わりたくなかった。 なんでそんな拒否反応を起こしたかと言えば、僕は嫌だったのだ。 今作戦の成功を、リーダーの墓前に捧げよう、だとか。 私達はシルバーという偉大なリーダーを失った。だが、彼の意思をここで潰えさてはいけない、とか。 そうやって僕達の慰めや士気高揚のために、シルバーやランをだしに使われることが。 ラジオや世間の人間がシルバーとランを美化することは許せた。だけど、僕達の仲間だった彼らが、作り物のドラマなんかじゃない、真実を知っていた彼らがシルバーとランを美化することは許せなかったのだ。 それにもしシルバー達の遺留品でも渡されたら、僕はどんな思いでそれを受け取ったらいいというんだ。 僕がその申し出を断ったとき、男はとても残念そうにしていた。だけど、それでも彼の気持ちに答えようとは思わなかった。 僕は、一人で彼らの死を悼みたかった。 僕は、僕の知っている以上の彼らなんて知りたくも無い。 もう全ては終わったことだ。 もう終わらせてくれ。 「ねえゴールド、調子はどう?」 香草さんが僕の様子を伺いにやってきた。 もはや日課となっている。 体調が回復して、一般病棟に移されてからというものの。 僕はこうして、一日中引きこもっていた。 僕相手に詰め掛ける大勢の人間のせいで僕には一人用の病室が宛がわれたというのが、無遠慮に押しかけた彼らが僕に齎してくれた唯一の利益だ。 何かに大きな拒絶感があるというわけではなかったけど、とにかく気だるく、何もする気が起きない。 だからこうして日がな一日、ベッドでゴロゴロして過ごしている。 何かする以前に、そもそも思考がまとまらない。 何もかも薄く靄がかかっていて、価値を感じない。 僕の今までの人生は、一体なんだったのか。 僕が今までやってきたことは、一体なんだったのか。 何が意味あることで、何が無意味なことだったのか。 それとも、何もかも無意味だったのか。 まともに思考にならない。 「今日も気分が悪い……」 「そう……でも、こんな暗い部屋に一日中いたんじゃ、よくなるものもよくならないわよ」 「僕、光合成しないし……」 「わ、わたしだって光合成だけのために外に出るんじゃないわよ!」 僕が黙っていると、香草さんは「早く元気になってね」とだけ言い残し、部屋の前から立ち去った。 普通の人間が当然のようにできることも満足に出来ず、香草さんにまで心配をかけて。 僕は、人以下だ。 人間の屑そのものだ。 やっぱり、僕は死んでいるべき人間だったのかもしれない。 でも死ぬったって、どうやって死んだらいいんだ。 人の迷惑にならない、それでいて簡単な死に方は無いものか。 僕が死んだら、きっと香草さんやポポ、やどりさんは悲しむんだろうなあ。 でもどうしようもない屑人間の僕だ。どうせ生きていたって彼女らに更なる苦労を負わせるだけだ。 現に今だって。 ああどうして僕は。 960 名前:ぽけもん 黒 29話 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 08 23 ID 0qDfGH0o [4/9] そうやって一人、部屋で鬱々と過ごす。 そういう日々がさらにもう一週間続いたころ。 鍵をしてあるはずの部屋の戸が盛大に開いた。 「う、うわああああああ!!」 ロケット団からの暗殺者かと思って大げさに驚く。 「あら、思ったより元気じゃない。いい反応だわ。もっと無反応だと思ってたのに」 「か、香草さん!?」 だが部屋の戸を破って入ってきたのは他ならぬ香草さんだった。 「何やってるのさ! 病院の戸を壊しちゃだめだよ!」 「なんだ、もうすっかりいつものゴールドじゃない。安心したわ」 「安心したわ、じゃない……よ……」 文句を言おうとしたのに、香草さんに抱きつかれ、僕は閉口してしまった。 「いいのよ、ゴールド。私がいる。私が、ずっと傍にいるから……だから大丈夫よ」 彼女はそう言って、僕の頭を撫でる。 今までほとんど動かなかった感情が、まるで溶けたように一気に動いた。 「う、うわああああああああああ!!」 僕は香草さんに強く抱きつき、思いっきり泣いた。 今まで泣くべきときに泣けなかった分を、まとめて出したように。 香草さんは何も言わず僕を抱きしめ、頭をなでてくれる。 結局、ただきっかけが必要だっただけなのかもしれない。香草さんである必要なんてどこにも無かったのかもしれない。 でも、僕は確かに救われた。彼女の体温が、呼吸が、そして心臓の鼓動が僕を癒してくれた。 ありがとう、香草さん。 小一時間ほど経ったときだろうか。 「あーっ! なんでチコがここにいるです!」 「抜け駆けは、許さないって契約だったのに……」 ポポとやどりさんが壊れて閉まらなくなったドアの向こうに立っていた。 「ポポ、やどりさん」 二人の顔をまともに見るのも、随分久しぶりだ。 そういえば、香草さんだけ来て、やどりさんやポポが来ないのは不自然と言えば不自然な話だ。 「しかも、な、なんで二人で抱き合ってるですか!!」 「夜這い……しかも白昼堂々……許せない」 何だか雲行きが怪しくなってきた。 「べ、別に私はただこんな暗い部屋にずっといたらゴールドが腐っちゃうと思って、日に当てようかと思って」 「黙れですこの光合成脳!」 「う、うるさい! 元気がないときは太陽に当たるのが一番なのよ!」 「私達が検査に行っている隙に……」 ああまずい。このままではきっとまた争いが……! 「そ、そうだ! 皆で散歩に行こうよ! 天気もいいしさ!」 強引に話を変える。 ああ、僕の束の間の平穏もここまでかな。 散歩から帰ると、みんなそれぞれ自分の病室へと戻っていった、というか戻らせた。 香草さんもやどりさんもあの戦いでの怪我は決して軽症とは言えなかったし、ポポも病室を無理やり抜け出して、しかも相当の無茶をしたせいで、僕達はそろいもそろって仲良く入院中なのだった。 といっても、みんな治りが早くて、まともに入院している必要があるのは現在では僕だけなのだけれど。 帰った後、看護婦さんからドアを壊したことについてたっぷり説教を食らった。 悪いのは僕達だから、粛々と受け止めるしかない。 代わりの部屋もないので、簡単な修理だけしてその部屋を使い続けることとなった。 どのみち、マスコミや野次馬も減ってきたし、数日中に集団病室へ移ることになるかもしれないらしい。 961 名前:ぽけもん 黒 29話 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 10 41 ID 0qDfGH0o [5/9] 「ゴールド、入っていいです?」 夜遅く、ドアの向こうから声がかけられた。 この高く甘えるような声はポポのものだ。 その声には若干の不安の色が滲んでいる。 「だめだよ、こんな時間に。ちゃんと部屋にいないと」 僕がそう返事すると、扉の向こうで、微かに衣擦れの音が聞こえる。 泣いて、いる? 「ごーるど、だいじな話なんです……」 声は泣き出す一歩手前と言ったようなものになっていた。 大事な話……そう言われると、聞かないわけにもいかない。 「しょうがないな、入っていいよ」 僕は簡易鍵を外し、部屋の戸を開ける。 扉の向こうのポポは、両翼を下ろし、俯いていた。 まるで親に怒られた子供みたいだ。 「ありがとですゴールド!」 僕が戸を開けたのを見ると、彼女は顔を上げてぱあっと笑った。 彼女はぴょこぴょこと弾んだ調子で部屋に入る。 とてとてと床が鳴った。 「それで、大事な話ってなんだい?」 僕は扉を閉め、鍵をかけ直しながら聞く。 すると後ろから飛び掛られた。 「ポポ!?」 「ゴールドとこうするの、久しぶりです!」 そういえば、ラジオ塔で僕を助けてくれたときはすぐに気絶しちゃったし、それから今まではすっかり部屋に引きこもっていたから、彼女が僕に抱きつくのは本当に久しぶりだ。 「そういえばそうだね。ごめんね、色々心配かけちゃって」 「そうです。目が覚めたときゴールドがいなかったときは本当に、本当に心配だったんですよ」 ああ、そういえば、時間の都合上仕方が無かったとはいえ、怪我で入院しているポポを丁子町に置き去りにしてきてしまったんだった。 「ポポ、もしかして、ゴールドに捨てられたんじゃなないかって……えうっ、ひぐっ……」 「ああごめんよ! 緊急事態だったんだ! 僕がポポを捨てるわけないよ!」 「ごーるど、ほんとですぅ?」 彼女はそう言って涙目で見上げてくる。 う、これは非常にまずい気がする。 言い過ぎたかもしれない。 「いや、あのっ、その……」 ポポを捨てるわけ無いって、別にそんな意図は無かったんだけれど、知らない人が聞いたら二股宣言じゃないか。 でもポポは知らない人じゃないから、そんな心配は杞憂か。 「ポポ、ゴールドになら、全部あげられるですよ……」 全部って何の話だ!? 僕の思考を知ってか知らずか、ポポは上目遣いで僕を見上げる。 「だからぜぇーんぶ、ゴールドのものにして下さいです!」 ポポはそういいながら僕に寄り添うように体を近づける。 ポ、ポポぉー!? 「そ、そんなことより、大事な話って何だったの?」 どうも風向きが悪い。 体を離しつつ、強引に話を逸らす。 そんな僕に対し、ポポは大げさに驚いた顔をして、そして僕にすがり付いてきた。 「そんなことって、ポポは……ポポはゴールドにとって、そんなにどうでもいい存在なんですか!? ひどいです! ポポは、ポポはゴールドさえいれば、他になにもいらないのに!」 子供ならではの純真さって奴だろうか。 その純真さが直接僕の胸の抉り抜く。 うぐ、違うんだ、違うんだよポポ。 ポポのことがどうでもいいわけじゃないけど、僕には香草さんという大切な彼女がいるんだ。 ポポのことばかり見ているわけにはいかないんだよ。 「それとも、ほんとにほんとだったですか……?」 「な、何がさ」 「ゴールドが、チコのこと好きだって言うこと」 部屋の中から一切の音が失われた。 静か過ぎて耳鳴りがする。途端に寒気を感じる。 僕がこれに答えたら、きっとポポは悲しむ。 自分が大怪我をして気を失っている間にこんなことになっているなんて、ポポにとっては騙まし討ちもいいところだろう。 でも、僕は言わないわけにはいかない。 ここでポポに気を使っても、彼女を余計悲しませることになるだけだ。 だから僕は、背筋に走る激しい悪寒を無視し、答えた。 「うん、そうだよ。僕は香草さん……いや、チコに告白した。僕と彼女は付き合うことになったんだよ」 何故か冷や汗が流れる。 数秒の沈黙の後、ポポが口を開く。感情を押し殺したその声は、酷くザラザラしていた。 「……そんなの、おかしいです」 「おかしいって、何がおかしいんだ?」 僕は努めて優しい声色で話しかける。何でだ。どうしてこんなにも悪寒が止まらないんだ。か、風邪でも引いたかな? 「……ごーるどは、ぽぽのきもちには、こたえてくれませんでした。それなのに、ちこにだけこたえるのはおかしいですよ」 酷く可愛らしいその声が、雑音染みて感じられる。 僕の目の前にいる、小さな少女が、まるで魔物のように見えた。 962 名前:ぽけもん 黒 29話 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 11 03 ID 0qDfGH0o [6/9] 「……おかしくなんか無い。僕は、チコが好きだったんだよ。他の誰よりも」 「それは、ぽぽよりも、ですか?」 「……うん、そうだ」 空気が震えた。 部屋中のものが、カタカタと細かく震えている。 地震? いや、違う。 僕はこれが何か知っている。 本当は、ずっと前から知っていた。そしてようやく、それが何かを自覚した。 「……うそ、です」 硬いその言葉は、僕には懇願染みて感じられた。こんな小さな少女の、こんな健気な気持ちを裏切る。そのことに僕の胸は酷く痛む。しかしもうここで引き返すわけにはいかなかった。恐怖を押し殺しても、前に進まなければならないと思ってしまった。 「嘘、じゃない」 それは明らかな失敗だった。 「うそです!!」 瞬間、空気が爆発した。 それはポポを中心として、部屋中の全て、いや、建物そのものを飲み込んでいく。 僕は壁に叩きつけられた。 その壁も、ここにいるのを拒否するかのように激しく震えている。 濁流に翻弄されるように、僕も身動き一つ取れない。 まるで巨大な化け物の手に全身が握られたような感じだ。 ラジオ塔で、激昂したランを目の前にしたときと同じ感覚。 間違いない。これは―― 「だめですよ、ごーるど、そんなこといっちゃ」 「ど、どういうことだ?」 もう彼女の機嫌を伺うような声色は使わない。 毅然と、傍から見れば、ただの震えた情けない声かもしれないけど、僕の中では精一杯の虚勢を張る。 「だって、ぽぽは、ごーるどがいなきゃいきていけないですよ?」 彼女が一歩僕に近づく。 彼女が足を下ろした床が、発狂したかのように爆ぜた。 「だから、そんなこといっちゃ、だめです」 一歩、また一歩と彼女は僕に近づく。 壁に一斉に細かい皹が入り、それを飲み込むように大きな亀裂が走る。 「僕が、なれるのは、君の保護者までだ! もう僕は、それ以上には、なれない!」 彼女は翼を伸ばし、そっと僕の頬を撫でた。 肌が粟立つ。 963 名前:ぽけもん 黒 29話 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 12 01 ID 0qDfGH0o [7/9] 僕の頬を撫でたまま、彼女は一気に僕に肉薄した。 ぴょこんと傍に飛びよってくるような、普段どおりのとても可愛らしい動作で。 「ほごしゃでもいいですよ。ぽぽは、ごーるどがぽぽだけみてくれるなら、なんだっていいんです。ぽぽは、ごーるどがほしいものなら、ぜんぶあげるですよ?」 「……君には、僕の一番欲しいものをくれることは出来ないよ。絶対に」 「だいじょうぶですよぉ。だって、ぽぽが、ごーるどのいちばんほしいものになるですから」 彼女がニッコリと微笑むと、一際強い殺気が僕を飲み込み、僕は身動きが取れなくなった。 息をするのも苦しい。暴風の中にいるようだ。 まるで猛獣が捕まえた獲物を舌で舐めるように、ポポは僕の頬に舌を這わせる。 「ふふっ、ポポの愛おしいひと。そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。ポポが、ポポが幸せにしてあげますからね」 悪魔染みた囁きに、背筋に怖気が走った。 何とか恐怖を払って彼女を突き飛ばそうとするが、やすやすと避けられた。 勢い余った僕はそのまま床に倒れる。 彼女は倒れた僕の上に飛び乗った。 「うふ、うふふふふ、ごーるど、ああごーるど」 彼女の足に力が増し、僕の背中に軽く鍵爪が食い込む。 体を捩って見上げると、彼女の表情はまさに恍惚と言うものだった。 堪えきれない、と言った風に、両の翼の先を自分の頬に当てている。 今の僕には、その笑みが酷くサディズムに溢れたものに見えた。 まったく似ても似つかないのに、獲物を捕らえた猛禽を連想させられる。 「ポポ、君は獣とは違う。自分の感情をコントロールすることができるはずだ。だからこんな馬鹿なことはやめてくれ。今なら、すべて無かったことに出来る」 場違いな上から目線の説得だ。 だけど、へりくだっても意味は無いだろう。 「や、で、す。ぽぽは、なんにもなかったことにするきないです」 「く、ポポォー!!」 僕の激昂と共に、扉が爆発したように裂け、部屋に爆風が吹き荒れる。 見るまでも無い。二人が、僕を助けに来たんだ。 「チコさん! やどりさん!」 「ゴールドを離せ、この畜生がァ!」 瞬間、僕は助けに来てもらったことを後悔した。 香草さんは未だかつて無いほど怒り狂っている。 ついさっき感じた恐怖の暴風が、そよ風に感じるほどだ。 部屋の戸が破られた瞬間、僕はポポによって窓枠のところまで運ばれていた。 片足で僕を掴み、もう片足で窓枠を掴んでいるポポが、香草さんを挑発する。 「遅かったですねえ! チコはいつも遅すぎるですよ。今まではたまたま運よく手遅れにならずに済みました。でも、そんな幸運は続かないですよ」 そういうと、ポポは窓枠が爆ぜるほどの力で、思いっきり窓枠を蹴っ飛ばした。 ほんの刹那遅れて香草さんの蔦が空気を切り裂くが、もう遅い。 ポポは僕を抱えていながら、すでに高く、蔦の死角に飛び上がっている。 香草さんは蔦によりすぐに屋上まで這い出てくるが、そのときにはポポはさらに遥か上だ。 彼女の蔦の有線範囲を遥かに超えている。 やどりさんも念力で飛んでくるが、やはりポポと比べればその速度は雲泥の差だ。 何より、やどりさんは念力で無理やり跳んでいるだけだ。 天性の飛行動物であるポポに勝てる道理はない。 「うふふ、くふふふふ」 ポポは空気が漏れるような、不快な笑いを漏らし続けている。 突如、その笑みが止まった。 そしてポポの全身に力が満ちたかと思うと、僕は強い衝撃を覚えた。 あまりにも急速な方向転換に、僕の体が耐えられなかった。 全身を強打されたかのようになって、気絶寸前の僕の視界の端に、香草さんが映った。 背後には無数の蔦が伸びている。 まさか、蔦を使って、自分を跳ね飛ばしてきたのか!? 本当に無茶をする。 「うわああああああああ!!」 そしてその蔦を引き戻すようにして、ポポを刈るように振り払った。 ポポが息を呑む気配を感じる。 しかし、その蔦は寸での所で空を切った。 香草さんの顔が絶望に染まるのが分かる。 彼女に空は飛べない。 後は、落ちていくだけである。 964 名前:ぽけもん 黒 29話 ◆wzYAo8XQT.[] 投稿日:2012/02/20(月) 17 12 23 ID 0qDfGH0o [8/9] 「いや、ごーるど、ゴールドぉおおおお!!」 彼女は叫びと共に手を伸ばす。 「チコオオオオオオオオオオ!!」 僕も手を差し出すが、しかしその手は圧倒的な距離に阻まれ、届かない。 「ふ、ふふ、ふふふふふ! これで、これでゴールドは、ゴールドはポポのものですうううううう!!」 ポポは狂ったように笑う。 「ばいばい。地を這うことしか出来ない、哀れな生き物。その風もつかめない非力な腕で、ゴールドをつかめるわけがないですよ」 泣き叫ぶ香草さんに、ポポは捨て台詞を吐くと、どんどん上空へと飛び上がっていく。 香草さんが見る見る遠くなっていく。 必死にこちらに向かって飛んでくるやどりさんも、あっという間に見えなくなった。 「うわあああああああああああああ!!」 僕の絶叫は、広すぎる空に溶けて消えた。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1631.html
729 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 04 38 ID XfAuM+yJ ランの爪が僕の頭部目掛けて振り下ろされ、響く悲鳴。 その悲鳴の主は、あろうことかランだった。 僕の頭部目掛けて振り下ろされた一撃は、僕の頭のすぐわきを穿っていた。 僕は無傷だった。 ランは絶叫しながら、頭を抱えてその場に蹲る。 「ラン?」 シルバーが怪訝そうな声をあげ、ランに駆け寄る。 すぐに、いくつかの悲鳴が続いた。 倒れていたポポややどりさんも、頭を抱えてうめいている。 まだ生き残っていたロケット団員の内の何人かも同様だ。 ただでさえ意識が朦朧としている上にこの急展開。 僕はさっぱり事態についていけていなかった。 僕は頭に特に何も感じるところはない。 それはランに声をかけているシルバーも、数人のロケット団員も同様のようだった。 特定の人間だけが苦しんでいる? 苦しんでいる人達の共通点はなんだ? 女性ということ? いや、違う。ロケット団員に、僕らと同じように困惑している女性がいた。 じゃあ、なんだ? 苦しんでいるロケット団員を眺める。 そこで気づいた。 今苦しそうにしているのは、みんなポケモンじゃないか? そう思ってみてみると、苦しんでいるのは皆一様にポケモンのように見える。 「ラン、引くぞ」 シルバーも未だ何が起こっているかよく分かっていないようだったけど、苦痛に呻くランを背負うと、林の中に走っていった。 この判断の早さはさすがというべきだろうか。 彼が林に逃げ込む直前、彼と目が合った。 僕は彼の目から何も読み取ることは出来なかった。 僕は数瞬呆然としていたが、辺りに満ち溢れる苦悶の声で正気を取り戻す。 立ち上がり、フラフラとポポとやどりさんの下へ歩く。 遠くからでもよくない状態だということは分かっていたけど、近付くとよりはっきりと容態が伝わってくる。 二人とも、息も絶え絶えだ。 頭のほうの原因は分からないけど、二人とも、重度の火傷を負っていることは明らかだ。 特にポポは酷い。ランと直接ぶつかった右の翼は酷く焼け爛れ、まさしく、焼き鳥と呼んでも差し支えの無い状態になっている。 焼き鳥だ。ははは、焼き鳥か。 こんな悲惨な状況なのに、何故だか、急に可笑しくなってきた。 「ご、ゴールド?」 リュックから取り出した火傷治しを患部に吹きかけていると、ポポが苦しそうに僕の名前を呼んだ。 「なんだい?」 僕は震える声で何とか答える。 笑えて笑えて、こんなことをいうのも一苦労だ。 僕の尋常ならざる様子に怯んだのか、それとも、傷が痛むのか、震える声でポポが言う。 「ゴールドは……早く二人を追うです……。ポポは、いいですから……」 「ふ、ふふっ、二人? 二人って誰のこと?」 ポポは青ざめた顔で続ける。 「さっきの、二人組みです。……ゴールド? 大丈夫、です?」 どうやらポポはこんな状況にも関わらず、僕の心配をしてくれていたらしい。 ポポの真剣な顔がまた可笑しい。 「ああ、いいんだよ。くっく……だって毒が塗ってあったんだ」 「……毒……です?」 「そう! 毒! 僕のあのナイフにはねえ、猛毒が塗ってあったんだよ! 掠っただけでも死ぬようにってね!」 僕はもう堪えきれず、お腹を抱えて笑い出した。 この日のために用意した、特別なポケモンの毒。 旅の準備をしているとき、何気なくリュックの底に入れた毒ナイフは、僕の最も望んだ形で使われた。 「毒、毒、毒だよ! はっはっはっは! 毒って! はははははは! だからほっといても死ぬんだよ! うふふ、あはははは!」 「ごー……るど?」 「そうだよ! 死ぬんだよ! ひーっひっひ!」 不意に暖かいものに包まれた。 気づかないうちに、やどりさんが這ってここまできていたらしい。 火傷はポポに比べれば大したことないけど、謎の頭痛は感じているのだろう、鎮痛な面持ちだった。 730 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 05 15 ID XfAuM+yJ 「ゴールド、もう……」 「やどりさんも笑おうよ! こんなにおかしなことはないよ! だってシルバーは死ぬんだよ!」 子供の頃からの、一度は諦め、忘れた宿願がようやく叶うんだ。 嬉しくないわけが無い。 ……いや、本当は分かっている。 シルバーは何も悪くなかった。 僕は無実の親友を、愚かな勘違いで十年間ずっとうらみ続けて生きてきて、そして間抜けにも全てが手遅れになってから、ようやく真実を知った。 勘違いしただけならまだしも、勘違いから愚行を成し遂げてしまった。 稀代の馬鹿だ。当代きっての大馬鹿者だ。 こんな滑稽な話はない。 こんなにも笑えるのは、それは僕がとんでもなく滑稽だからだ! 僕はやどりさんに背中から抱きつかれたまま一通り笑い、そしてそのまま気を失った。 女の子の呻き声で目が覚めた。 僕は焦げた地面に倒れていて、隣にはやどりさんが、前にはポポが倒れて呻いていた。 起き上がって周りを見てみると、ロケット団は死体以外はもうどこにもいなくなっていた。 でもまだ日は高い。そんなに時間がたったわけではなさそうだ。 仲間に生じた異変に、僕達に構っている余裕なんか無かったのかな。 もしかしたら二人が撃退してくれたのかもしれない。 僕はといえば、あんなに愉快だったのが嘘のように、最悪な気分だった。 脳みそが鉛になったみたいだ。 きっと、それは焦げ臭い地面で寝たせいだけじゃないだろう。 僕は、気絶する前のことをできるだけ考えないようにした。 途中だったポポの翼の治療を機械的に行い、呻く二人を起き上がらせると、二人に肩をかして何とか歩き出した。 僕の手持ちの道具で出来る治療なんかたかが知れてる。あくまでも応急処置だ。 ちゃんとした治療を行うために、そして二人の頭痛の原因を確かめるためにも、急いで病院にいく必要があった。 ポケギアを取り出し、救急車を呼ぼうとする。 「……あれ? 圏外!?」 しかしこともあろうに画面には圏外の文字。 おかしい。旅のルートはすべて電波状態が良好なように整備されているはずなのに。 ロケット団に電波塔が倒されたりしたのだろうか。 しかし、これで俄然まずいことになった。 まさかこの一刻を争うって時に、救急車が呼べないなんて。歩いてポケモンセンターまで行けというのか。 ……立ち止まっている余裕は無い。 ここからだと桔梗市に戻るより、丁子町に行ったほうが近い。 だから僕は丁子町に向かうことにした。 しかしポポの火傷のダメージは、思ったよりもずっと酷いらしい。 通行所を越え、数百メートル歩いた頃には、ポポはもう歩くどころか自分の力で立つことすらできなくなった。 ポポは青い顔をして苦しげに息を吐いている。 飛行用の器具でポポを僕の背中にしっかりと固定すると、ポポを背負って僕達は再び歩き出した。 さらに、大きな誤算があった。 丁子町へと続く道を進んでいた僕達の前に現れたのは、湖。 そういえば、ここを通る以外に丁子町へと行く方法は無かったんだ。 意識が錯乱していたとはいえ、僕はなんて馬鹿な判断をしたんだ。 頭を抱えてその場に蹲り、そのままじっとしていたい欲求に駆られたけど、そんなことをしている場合じゃない。 背中のポポから、どんどんと命が失われていっているようで、怖かった。 その恐怖が、この状況から逃げだしたくて今にも消えてしまいそうな僕の正気を、かろうじて繋ぎとめていた。 しかしポポは飛ぶことなんてとてもじゃないけど出来ないだろうし、やどりさんも頭痛のせいで念力は使えそうになさそうだ。 なす術がないじゃないか。 湖を前にして途方に暮れる僕に、やどりさんが言った。 731 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 06 13 ID XfAuM+yJ 「……私が……泳ぐ……だから……捕まっていて」 息も絶え絶えだ。 言葉を話すのも辛そうなのに、泳げるわけが無い。 しかしポポの容態を考えると、とてもそんなことを行っている余裕は無かった。 僕はポポにチラと目をやると、意を決して水に飛び込む。 ポポが悲鳴を上げた。僕も呻き声を漏らす。 全身の火傷に水がしみる。 一刻も早く病院に行ったほうがいいのは僕も同じようだった。 やどりさんに捕まると、やどりさんはすいすいと進みだした。 さすが水ポケモン。その名前は伊達じゃないらしい。 しかしさすがに消耗しているようで、進むごとにペースはドンドン落ちていく。 僕が呼びかけるも、次第に答えてくれなくなった。 向こう岸が見えてくる頃には、もはや泳いでいるのか漂っているのか分からない速さになっていた。 首を後ろに回すと、真っ青な顔をして目を閉じているポポが目に入る。 唇は紫に変色しており、息は荒く、か細く、震えている。 今にも消えてしまいそうだ。 体温が大分下がっているみたいだ。体の半分も水に浸かってはいないのに。 仕方が無かったとはいえ、ポポを水に入れたのは失敗だったかもしれない。 しかし、この状態では湖を前にして留まり、体力の回復を待つわけにはいかなかった。 一刻も早い治療が必要だった。 焦燥が苛立ちに変わる。 僕は判断を誤ってはいないはずだ。 ……もう向こう岸は見えている。 僕も寒さでかじかんで、手足の感覚があまりないけれど、それでも泳いで向こう岸にたどり着くことは出来ないだろうか。 自分一人ならまだしも、ポポを背負ったこの状況で。 いや、リュックが浮き袋の役割を果たしているから沈むことは無い。 ならば行けるはずだ。 「やどりさん、やどりさんは一人なら向こう岸にたどり着けそう?」 「……いや、だ」 「え?」 「ゴールドを置いていくくらいなら、私も一緒に死ぬ」 一瞬の間が空き、気がついた。 やどりさんには僕達を見捨てて一人で助かってと言っているように聞こえたのか。 言葉が足りなかったな。この状況では誤解するのも無理は無い。 「違うよ、そうじゃなくて、僕はポポを背負ってこのまま自力で向こう岸を目指す。やどりさんは自分一人ならもっと速く進めるんじゃないかないかと思って」 言葉にして気づいた。これ、結局僕達を見殺しにして一人で進むってのと変わらなくないか? やどりさんにもやはりそのように聞こえたようで、厳しい声で答える。 「……ポポを置いていこう」 「……え?」 「ゴールド、冷静に考えて。湖を渡っても、町まではまだ何キロもある。ポポはもうもたない。どうせダメなら……」 「そんなことはない!」 「ゴールド!」 水面が声で波立った。 シンと静かになった空気を切り裂くように、冷たい声で続ける。 「ここで、ポポと一緒に死ぬ気?」 「……う……し、死なない」 「なら……」 「でも! ポポも死なせない!」 「ゴールド! お願い! 聞き分けて!」 「嫌だ! 絶対に嫌だ!」 頭では分かっている。もう駄目だ。 でも、諦めることなんてできない。 ここでポポを見捨てるくらいなら、いっそこのままポポと心中したほうがマシだ。 やどりさんの背を離れ、リュックを下にして泳ぎだす。 向こう岸が見えるとはいえ、僕の今の体力から言って、その距離は絶望的なほど遠い。 それでも、懸命に手足を動かすしかなかった。 732 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 06 41 ID XfAuM+yJ 「どうしたー? 大丈夫かー?」 遠くから唐突に、男の声が聞こえてきた。 半ばうかされたように振り向くと、遠くにボートが見えた。 釣り人みたいだ。助かった! 「助けてくださいー! 怪我人がいるんですー!」 渾身の力で声をはりあげた。寒さでみっともなく震えていたけど、今はそんなこと気にしている場合ではない。 僕に呼びかけたのでなくても構わない。僕に気づいてもらわないと。 「待ってろー! すぐ行くぞー!」 聞こえたか不安だったけど、しっかりとした声が返ってきた。 エンジン音とともに、水しぶきを上げてボートがこちらに近付いてくる。 三人で浮かんで待っていると、ボートはあっという間に僕達のところにたどり着いた。 釣り人のおじさんはすぐに僕達をボートの上まで引き上げてくれた。 「たまげたなあ。お前らどうしてこんなところに。それにこのひでえ怪我」 「あの、僕達、旅の参加者で、それで、ロケット団に襲われて」 「ロケット団! 奴らもうこんなところまで……しっかし、ロケット団に襲われてよく助かったなあ」 「運がよかったんです。でも、この通りパートナーは重症で、それに、ポケモンの様子が変なんです。皆頭を押さえて苦しがって……だから早く病院に連れて行かないと」 「そういや、今日は一人もポケモンを見なかったなあ。いつもは必ず餌をくすねてくんだが……っておめえ、これ酷い怪我じゃねえか! なんでこんな状態で水になんか入れた!」 「で、電話が通じなくて、どうしようもなかったんです。僕じゃ治せないし、すぐに病院に連れて行かなくちゃと思って」 いつの間にか僕は涙声になっていた。 説明をしているうちに岸にたどり着いた。 おじさんと協力して二人をボートから降ろす。 「電話が通じねえって……あれ、ほんとだ。おかしいなあ」 おじさんも自分の携帯電話を取り出し、不思議そうに画面を眺めている。 「いつもならこんなことねえんだが……。しょうがねえ、俺の車に乗れ! ポケモンセンターまで連れて行ってやる」 「あ、ありがとうございます!」 「礼は後だ。いいから早く乗せろ!」 急いで二人を車に乗せ(車の中が水浸しになって申し訳なかった)、町に向かうが、町のが近付くにつれ、様子がおかしいのに気づいた。 「……なんだ……煙?」 おじさんの声で視線を前方に移すと、確かに進路上から煙が上がっていた。 まさかここもロケット団に? 町を襲うなんて全盛期のロケット団でも滅多にやらなかったことだ。 多分違うと思いつつも、唾を飲む。 そういえば、復活後のロケット団は以前にまして過激になっていると聞いたような気がする。 市街地に近付くにつれ、事故が目に入るようになってきた。 それも一件や二件ではない、いたるところで事故が起きている。 「こりゃあ一体……」 おじさんも言葉を失っている。 「多分、原因不明の頭痛と関係あると思います。運転中に急に頭痛に襲われて……」 「朝、町を出るときはなんともなかったのに……」 そのまま車を走らせていく。 幸運なことにというべきか、警察の整理のお陰というべきか、道路を通ることが出来たのはありがたかった。 ようやく見えてきたポケモンセンターの前にはすさまじい人だかりがあった。 人がポケモンセンターに納まりきらず、道路に毛布がしかれ、寝かされている。 皆、一様に苦しそうな表情を浮かべていた。 人だかりの奥から、拡声器によって拡大された声が聞こえてくる。 「頭痛の原因は現在調査中です! 通常の怪我を負った患者を優先して治療していますので、ご協力ください!」 やはり、皆一様に頭痛に襲われているらしかった。 ただでさえ多発した事故のせいでパンク状態の病院に、治療のめどが立たない頭痛患者が山ほど押し寄せてきたんだ、病院は大混乱に陥っていた。 「助けてください! 大怪我なんです!」 人だかりの前まで来た僕は、ざわめきにかき消されないように、精一杯の声をはりあげた。 僕の声は届いたようで、すぐにタンカを持った人達が人ごみを掻き分け、病院の中から躍り出る。 僕が少し離れたところで止まっている車を指差すと、すぐに二人は車から運び出され、タンカに乗せられて病院の中に入っていった。 「ありがとうございます」 僕はおじさんに深々と頭を下げた。本当に、感謝してもしきれない。 733 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 07 14 ID XfAuM+yJ 「おじさんがいなければ、今頃、僕達は……」 「気にすんな。怒鳴って悪かった。てっきりお前がパートナーよりも自分の功名心を大事にする屑トレーナーかと勘違いしちまってな」 「いえ、そんな、本当に、なんとお礼を言ったらいいか……」 「お礼なんていい、いい。その代わり、困ってる奴を見たら、今度お前が助けてやればいい。俺も、昔旅に参加したとき、人に助けてもらったことがあってな。 それより今はパートナーの傍にいてやれ。ポケモンセンターに来たからもう安心だとは思うが、どうも様子がおかしいしな……」 おじさんも随分と困惑した様子だ。 確かに、この光景はどう見ても異様だ。誰もが言い知れぬ恐怖を覚えているだろう。 「はい、本当にありがとうございました」 もう一度おじさんに頭を下げると、僕は病院に入っていった。 病院の中は外より酷い状態だった。 頭痛にも個人差があるらしく、外に寝かされているのは比較的経度の人だったらしい。 多くの人は頭を抱えてのた打ち回り、いたるところから呻き声や叫び声が聞こえてくる。 人ごみを掻き分け、治療室の前までくると、僕はそこのベンチに腰を降ろした。 酷く疲労していたせいか、それとも安堵のせいか、こんな酷い喧騒の中にも関わらず僕はすぐに意識を失った。 誰かの呼びかけで目が覚めた。 目を開けると、目の前にはやどりさんが立っていた。 しばらく頭が回らず、ぼんやりとやどりさんを見ていたが、彼女は何も言わず僕の前に立っている。 そういえば、あんなに騒がしかったポケモンセンターがすっかり静かになっている。 「やどりさん?」 「なに」 「大丈夫なの?」 「うん」 そう答えるやどりさんにはまったく苦しそうな様子はない。本当みたいだ。 よく頭が回らず、ぼんやりとしていると、ちょうど職員の方が通りかかった。 彼女の説明によると、始まった時と同様に、唐突にポケモンの原因不明の頭痛は治まったという。 原因は相変わらずわからないが、ポケモンセンターの収容能力を超えているし、とりあえず症状は治まったので帰宅してもらった、と。 それで静かになっているのか。 尤も、多発した事故の治療のため、平時に比べて忙しいのは変わらないらしい。 ポポは見た目どおり重症だけど、治療すればちゃんと元に戻るらしい。 ポケモンセンターについた以上、命の危険はないと思ったけど、それでも一安心だ。 やどりさんの治療はもう終了したそうだ。 僕のほうも、順路を外れてこんなところにいる理由の説明を、郊外でジム戦に向け戦闘訓練をしていたらロケット団と偶然遭遇し、そして今に至るということにしてごまかして説明した。 ポポの治療が終わるまでここに泊まっていってもいいということになり、いつものように一室を割り当てられた。 割り当てられた部屋に入り、ベッドの端に腰を下ろす。 今は乾いてはいるものの、先ほどまで水浸しの服を着て、その上椅子に座りながら寝ていたので、体の節々が痛い。 それも加わって、ますます気分は重い。 やどりさんは僕の隣に座り、心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。 「ゴールド、大丈夫?」 もちろん大丈夫じゃない。でも、彼女に心配をかけたくない。 だけど、彼女に気を使うのも億劫だった。 「うん、大丈夫だよ。服を洗いに行くついでにお風呂にいってくるから」 そういって、会話を終わらせる。 リュックは防水のため、中に水は入っておらず、幸い、換えの服がないということはなかった。 僕についてきたやどりさんと脱衣所の前で別れると、のろのろと服を脱ぎ、洗濯機の中に放り込んだ。 浴室には当然なんだけど、ほとんど誰もいない。 いつもなら広い浴槽を独り占めできることに少しは高揚感を覚えそうなものだけど、今の僕はまったく心躍ることもなく、ただ作業的に入浴を終えた。 734 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 07 46 ID XfAuM+yJ 脱衣所から出ると、すぐ前に相変わらず心配そうな顔をしたやどりさんが立っていた。 「遅かったから、おぼれてるかと思った」 「ははは、まさかそんな……」 あながちありえないとも言えなかった。 部屋に戻ると、すぐに床に就いた。 なかなか寝付けないが、何もする気になれず、布団に包まって丸くなっていた。 浅い眠りを何度か繰り返していると、いつの間にか外から日が差していた。 しかし起きる気になれず、壁のほうに向き直ると、またそのままぼんやりとし、眠るともなく、起きるともなく時間を潰す。 「ゴールド、ゴールド、朝ごはん、食べに行こう」 やどりさんが僕を呼ぶ声も、寝たふりをしてやり過ごした。 布団にこもっていても、一向に疲れが取れる様子は無い。 それどころか、ずっと横になっているせいでむしろ体は凝ってだるくなり、頭もますます曇っていく。 それでも、僕に動き出そうという気は起きない。 昨日から、僕は暗雲の中にいた。 今まで思い続けたことがすべて嘘だった。 そして僕は十年近い間、ずっと無実の罪を負い、苦しんで生きてきた親友を殺してしまった。 僕の今までの思いはいったいなんだったのだろう。 正義も何もない。僕はただの人殺しとなってしまった。 警察にすべてを告白すべきだ。 それはわかっている。 でも、僕はどうしようもない屑だった。 捕まりたくない。 まさか、こんなことになるなんて、思ってもいなかった。 僕は、罪の意識に、そして自分がしでかしたことの恐ろしさに責めさいなまれていた。 様子のおかしい僕を心配してくれているとはわかっていても、後ろにいるやどりさんの気配がうっとおしかった。 一人にしてほしかった。 昼食の誘いも、寝たふりでやりすごした。 日が暮れてきた頃だろうか、ちょっと前からいなくなっていたやどりさんが、人を連れて帰ってきた。 まさか警察? 寝たふりを続けていたけど、脈拍が俄かに速くなるのが分かった。 「ゴールドさん? 若葉ゴールドさーん?」 やどりさんではない、女性の声で呼びかけられる。 僕は目を強く瞑り、耳を閉ざした。 「昨日からこんな調子なんですよね?」 「はい」 女性の問いにやどりさんが答える。 「ゴールドさーん、起きてくださーい」 今度はそう呼びかけながら、僕の体を揺すってきた。 「どうしたんですかー?」 きっと僕が答えるまでこの調子で僕に構ってくるのだろう。 そう判断した僕は、意を決して目を開けた。 薄暗い室内に、白い服があった。 看護婦さんか。 僕は人知れず胸をなでおろした。 「……ほっといて下さい。具合が悪いんです」 相手が看護婦さんだと分かれば、僕がもう関わる理由はない。 ぞんざいにそう返答する。 「どこが悪いんですかー」 しかし相手は猫なで声で聞いてくる。 そりゃあ相手は看護婦。具合が悪いと言ったら原因を求めるのが当然だ。 「いいからほっといて下さいよ……寝てれば治りますから」 僕はそう言って、頭まで布団をたくし上げた。 ふう、とため息をついたのが聞こえてくる。 735 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 08 18 ID XfAuM+yJ 「困りましたねー。これじゃどうしようもないですよ」 「だからほっといて下さいって言ってるじゃないですか」 「そういわれましても、昨日からずっとこんな調子なんでしょう? お体を悪くしますよ?」 いっそ、悪くしたかった。 そのまま体調を崩して死にたかった そうして、一切の責任から逃げたかった。 「……ポポちゃんも心配してますよ」 そこで予期せぬ名が挙がった。そういえばポポはどうなったのだろう。 僕の疑問は言葉にする前に回答が返ってきた。 「目を覚ますなり、ゴールドさんを探して大変だったんですよ。一度見に行かれたら、安心されると思いますよ」 大変な騒ぎになったのは想像に難くない。 が、僕はそれでも行く気は起きなかった。 「しょうがないですね、それじゃ点滴しましょうか」 どうやら、ここにいる限り僕が体調を崩すすべはないらしい。 どんな抵抗を試みても、外部からの措置により治されてしまう。 「大丈夫ですよ、ちゃんと自分で食べれますから」 「それじゃあこれをどうぞ」 布団をはぐって顔だけ出した僕の眼前に、プラスチックの白いボトルが差し出される。 表面にはなにやら英字が印刷されていた。 「これは?」 「総合栄養ドリンクです」 昔食べた怪我治療用の食事が思い出された。 どうしてポケモンセンターという施設はこう怪しいものを開発(採用?)するスキルに長けているのだろうか。 こんな得体の知れないものを飲みたがる半病人がいるもんか。 「他にはないんですか?」 「他といいますと……これですとか」 そう言って看護婦さんが取り出したものはパッケージを水色にした以外は先ほどのものと同じように見えるものだった。 「これは?」 「総合栄養ドリンク、朝専用です」 「……朝専用?」 「はい。朝に相応しいすっきりとしたのど越しとキレにひたすらこだわった意欲作です」 栄養ドリンクに何を求めているのだろうか。 いったいどこに需要があるのだろう。市販されているわけでもなさそうだし。 「……さっきのでいいです」 「そうですよね。今は夕方ですものね」 そういう問題じゃない。 「ではどうぞ、ぐいっと」 看護婦さんに押し付けられ、僕はしぶしぶボトルのチューブを加える。 一口吸い込んだ瞬間、僕の口腔内に濃厚なフレーバーが充満する。 何これ、甘っ! 苦っ! あ、生臭っ! 何これ生臭っ! あ、でも酸っぱっ! 五つの味覚と複雑な香りが瞬時に僕の口内から脳天へ突き抜ける。 どう考えても人が飲むものではなかった。 「そーれいっきっ! いっきっ!」 看護婦さんは手拍子をしながら僕を囃し立ててくる。 いや何考えてるんですかあなたは! 「……いっき、いっき」 やどりさんまで、控えめではあるもののそれに唱和した。 何を考えてるんだこの人たちは。 というかこれを一口でも口に入れたことがあるのかあなたたちは! 特に病院関係者! 採用した人! 抗議しようと口を離しかけたその瞬間。 「……ちゃんと飲まなきゃ、だめ」 やどりさんの念力によって無理やり内容物が押し込まれる。 ちょ、ま、ま、あぁっ! 一瞬間のうちに、僕は今までの人生でおおよそ摂取したことのないようなおぞましいものに蹂躙され尽くした。 736 :ぽけもん 黒 22話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/06/11(金) 13 08 53 ID XfAuM+yJ 「これで、ゴールドも、元気に、なる」 荒い呼吸をして伏している僕を前に、やどりさんは安心げにそう言った。 僕が元気になったように見えますか、やどりさん。 「明日も調子が悪いようでしたらお申し付けくださいね。今度は朝専用をお届けします」 看護婦さんはそういって上機嫌で出て行った。 キレとかのど越しとか、そういう領域の飲料ではない気がするんですけど…… 明日はちゃんと食事を取ろう。 僕は固く決意した。 翌朝……の前に。 前日寝すぎたせいか、夜中の二時という中途半端な時間に目が覚めてしまった。 そのまま寝なおそうかと思ったけど、そこで僕は、僕の寝ているベッドの前に椅子を持ってきて、そこに座っているやどりさんに気がついた。 そーっと顔を見たら、目をつぶっている。 座ったまま寝ているらしい。 思えば、やどりさんはずっとこうして僕のことを見守ってくれていたのか。 申し訳ない気分になった。 なんだか寝付けなくなってしまった僕は、そっとベッドを抜け出し、身支度をしてポケモンセンターの前に来た。 誰もいない道路を、街灯がむなしく照らしている。 そこには、僕が来たときのような喧騒はまったくなかった。 あの時の記憶は鮮明に思い出されるが、あまり現実感がない。 現在の情景もあいまって、全部夢だったようにすら思える。 「……ゴールド」 いつのまにか、僕の後ろに来ていたやどりさんに声をかけられた。 「ごめん、起こしちゃったかな」 「……大丈夫、なの?」 そういえば、昨日に比べて気分は大分よかった。 考えたくないが、もしかしたらあの栄養ドリンクが効いたのかもしれない。 「う、ん。結構よくなったとは思うよ」 「……そう」 そこからしばらく沈黙が続く。 僕は黙って空を見上げていた。 町がすっかり寝静まっているおかげで、星々が綺麗に見える。 不思議なほど、心の中から澱みが消えていた。 「やどりさん」 「……何」 「僕、警察に全部話そうと思う」 「…………そう」 「ごめん、結局こんなことになってしまって」 「いい」 「え?」 「あなたが決めたなら、それで、いい」 彼女はそう言って、柔らかく微笑んだ。 それだけで、僕は少し救われた心地がした。 「……ありがとう」
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2635.html
724 名前: ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 20 40 25 ID WaAYDk/E [2/9] 「香草さん!」 腕に確かな重さを感じる。体に確かな暖かさを感じる。 ああ、本当に君なんだね。本当に…… 「ああああああ!!」 洞窟に響いた絶叫が僕と香草さんの間の安楽の時間を割いた。 ポポが、狂気走った目でこちらを見ている。 同時に走る寒気。 むき出しの殺気に、僕の肌が総毛立つ。ピリピリと痛む。まるで皮膚という皮膚に針を突きつけられたような恐怖。 「この畜生……私のゴールドに一体何をしたのよ……」 そこで僕の焼けた脳はようやく現状がいかに恐ろしいことになっているかに気づく。 半裸のポポに同じく半裸の僕。お互いの下半身はお互いの性の名残で汚れている。そして僕は酷く消耗している。そして洞穴に充満する性臭。 これを見て嫉妬と高慢の鬼である香草さんがただで済ますわけが無い。 「香草さん、もういい! もう終わったことなんだ! だからもう帰ろう!」 「ごぉるどぉ、なにいってるですかぁ。ごぉるどはぽぽとずっと……」 「そうね、さっと殺してぱっと帰りましょう。本当に気分が悪いわ。こんな気分になったのは生まれて初めて……」 今の彼女は正気とは程遠い。殺気だけで皮膚が裂けそうだ。 無差別に暴れださないのはまだ僕が抱きついているからだ。僕が彼女から離れたその瞬間、この殺意は爆発する。 「駄目だ! 僕は君に人殺しになってほしくない!」 「どうして? どうしてゴールドはソレを庇うの? だってソレは悪よ? ゴールドがずっと憎み続けてきた悪そのものよ? 殺さない理由が無いじゃない。私の言ってること、どこか間違ってる?」 確かにポポの今回の行いは悪そのものだ。それに、人を殺すなだなんて、ロケット団の幹部を感情に任せて殺してしまった僕には言う資格のない言葉だ。 「駄目だ! たとえ悪でも、僕は君に誰かを殺して欲しくないんだよ!」 それでも、僕は言う。罪を犯したのは僕だけで十分だ。間違っていたのは僕だけで十分なんだ。君は、君にはそんな風になってほしくない。 「あら、それでも私がソレを殺すのは許されるわ。だって――」 彼女が僕の背に這わせていた手をゆっくりと持ち上げる。 「だって、ゴールドは私のすべてより重いから」 処刑人の振り下ろすギロチンの刃ように、束ねられた彼女の蔦が正確無比にポポの首を狙って振り下ろされた。 刹那、閃光が走る。 血が跳ねる。 しかし以外にも、その血はポポのものではなく香草さんのものだった。 香草さんの肩口が切り裂かれている。そしていつの間にかポポは僕達の背後に回っていた。 ポポはねめつけるように香草さんを見る。 「ごぉるどをはなすですぅ、この虫けらぁ」 「正当防衛。……これで、誰の目にも問題なく、この害獣を殺せるわね」 駄目だ、もうこうなったら。 蔦を伸ばす香草さんに抱きつくと、僕はそのまま崖下に向け飛び降りた。 ……えっ? 僕は、僕達の体がこんなにもあっさり宙に投げ出されたことに困惑を覚えていた。 まさか満身創痍の僕が抱きついたくらいでこんなにもあっさり香草さんが落ちるなんて夢にも思うまい。 た、ただ二人の間に割って入ろうとしただけなのに! 「か、香草さんっ! どうして」 慌てて問うと、眼前の香草さんの顔が赤く染まっていた。血でも怒りでもない。照れている……のか? 「だ、だって、ゴールドがそうしてくれたんれしょ? これってぇ、わたしといっしょに死のうってことよね? いっしょに死んでくれるなんて、もう生きていたくもないほど辛い目にあったけど、それでも私とは永遠に一緒にいたいってことよね。嬉しすぎて、それで……」 か、香草さん! 香草さんの愛が非常に強いってことはよく知っていたけど、それでも自分が死ぬなんてときは躊躇しようよ! しかしそんな僕達をポポがあっさり見逃してくれるわけが無い。 すぐに狂気染みた笑みとともにポポが追ってきた。 「私とゴールドの最高の最期を! 邪魔するんじゃないわよ!」 彼女はそういうと蔦を振りかざしポポを追い払う。 ポポは移動が制限される崖の傍だというのに、複雑に絡まる香草さんの蔦をすべて回避する。外れた蔦が、崖を抉った。 羽の端を掠めることはあるけど、しかし決して致命傷を食らわない。 その刹那の間にも見る見る地面との距離が近くなっていく。 ああ駄目だ。僕死んだ。 725 名前:ぽけもん黒 32話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 20 41 28 ID WaAYDk/E [3/9] 香草さんと一緒に死ねることは幸福なのか不幸なのか。 それを思う間もなく、僕達は地面にぶつかった。 爆音と共に派手に土煙が上がる。 視界はまったく無い。でも、これが頭から地面に激突した人間の視界ではないことは確かだ。 香草さんが蔦を蜘蛛の足のように広げ地面に着地した結果だ。僕には怪我一つ無い。 「……死体に集るハゲタカが。お陰で幸せになりそこねちゃったじゃない」 心底安心した。僕は死のうと思って飛び降りたんじゃない。 うすうす感ずいてはいたけど、僕は自分の命への執着がかなり強いらしい。 「香草さん!」 「ごめんねゴールド。私達の愛の結果が、あの薄汚いハゲタカに踏みにじられるなんて嫌よね。ごめんねすぐ気づかなくて。あ、でも気持ちはとっても嬉しかったよ、ゴールド。一緒に死ぬことが嫌とかそういうんじゃないから、か、勘違いしないでよね!」 「いやいいよ! 二人で死ぬより、二人で生きようよ!」 彼女は顔を本当に真っ赤にして、口をパクパクさせている。感情が言葉にならないみたいだ。 「……っ! 好き、大好き」 そう言って、僕と口付けを交わしたあと、彼女は中空を見る。 空には、僕達の様子を伺って旋回しているポポの姿がある。 「だから殺すわ。幸福な二人の未来のために」 両手から蔦を振りかざしてポポを睨む。 僕は香草さんに覆いかぶさるように飛び掛った。 「ポポ! 逃げるんだ! そして二度と僕達の前に姿を現さないでくれ!」 これが僕が君にあげられる最後の優しさだ。 残酷な行為だということは自覚している。だけど香草さんとポポ、二人が僕の傍にいることはもう不可能だ。交渉の余地も無い。ポポと香草さんの二者択一。……僕は、香草さんを選んだんだ! だから、だからポポ、早く消えてくれ。香草さんに殺される前に! 「ねぇゴールド……どうしてさっきからあの獣のことばかり庇うの? それにどうして、私のこと名前で呼んでくれないの?」 名前……? ああ忘れてた! そうだ、僕は香草さんのことをチコさんって呼ぶって約束してたじゃないか! どうにも慣れずに、香草さんのことを頭の中で香草さんと呼び続けた弊害がここに表れた。 「ゴールド、どいて。害鳥駆除が出来ないわ」 口調こそ穏やかなものの、その言葉の裏には恐ろしい怒気が込められており、その澄んだ声に正気は無い。 「やっぱり私とゴールドは一秒も離れちゃいけなかったんだわ。私の失敗よ。もう二度と同じ失敗をしたりしない」 蔦が次から次へと巻きついてきて、身動きが取れなくなる。 「香草さ……チコ! だめだ! やめてくれ!」 視界も塞がってきた。 「大丈夫よゴールド。愛してる、永遠に」 視界が暗くなっていく。駄目だ、香草さん! 「ごぉるど、絶対に助けてあげますからねぇ」 ポポは宙を舞いながら、涙をボロボロと流す。 彼女は心の底から悲しんでいる。本心から、香草に囚われ、蔦の中で眠るゴールドを救おうと思っている。 「アンタは取り返しのつかないことをした。アンタが今後何をしても許せないし許す気も無いわ。でも、アンタはここで殺す。殺さなきゃだめだから」 うわ言のような死刑宣告を終えた香草は、いたずらを思いついた子供のようにくすりと微笑んだ。 「そのくっさい子宮引きずり出してすり潰しでもしたら、少しは気が晴れるかしら」 ゆっくりと宙を踊っていた香草の蔦が、唐突に弾丸のような速度で伸びた。 その魔弾の群は、一つの例外もなくポポの元に向かっていく。 そして、そのすべてが強かに彼女を打ち据えた。 香草チコは勝利を確信する。 その瞬間、一つの影が通り過ぎた。 その影は触れることも無く香草の蔦を解き、中からゴールドを救い出し、抱きかかえるとそのまま宙に舞った。 虚を突いた一瞬の早業。それゆえ、それを防ぐことの出来るものはいなかった。 哄笑と共に、ゴールドを抱きかかえたやどりは空を翔る―― 726 名前:ぽけもん黒 32話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 20 41 56 ID WaAYDk/E [4/9] ―――――――――――― それは一瞬の隙だった。 勝利を確信した瞬間の心の緩み。彼女の慢心、油断。 その傲慢が、私に付け入る隙を許した。 いや、私には最初から分かっていた。 香草チコは必ず油断をする。必ず隙が出来る。 だから私は最初からその隙を待っているだけでよかった。 あの二人のように殺しあう必要など無い。戦わずとも、勝者は私に決まっているのだから。 蔦の中から愛しいゴールドを救い出すと、彼を抱いて宙に逃げる。 まだ死んでなくとも、あの攻撃を受けたらまずただでは済むまい。瀕死のポポに、私を追う力はない。 香草など言うまでもない。鈍い彼女は永劫地べたを這うのみだ。 こうしてゴールドは私のものとなった。あの二人は、ゴールドに永遠に届かない! あの洞穴の惨状を目の当たりにしたときは、思わず怒りのままに何もかも台無しにしてしまうところだった。 しかしそれを押さえたから、冷静さを失わなかったから、今ここに私の勝利がある。 ゴールドを両腕で抱きしめ、存分にその存在を堪能する。 歓喜で全身の細胞が震える。気が変になってしまいそうだ。 力の制御が利かない。跳ねるように私は宙を舞う。 ああ、私は間違いなく浮かれていた。 まだ彼女達の姿の見えるうちにこの浮かれっぷりなど、愚かにもほどがあるが、しかしもう勝利は確定しているのだ、これくらいは許されよう。 思いっきり息を吸い込む。胸いっぱいにゴールドの匂いが広がる。 もう何日も体を清めていないであろう彼の濃厚な匂い。脳天まで痺れてしまう。余計なメスの臭いが混ざっているのが気に食わないが、まあもう終わったことだ。今後いくらでも彼の匂いは堪能できる。 私は勝った! ゴールドを手にした瞬間、内心、私はほくそ笑んでいだ。 確かに、多少のイレギュラーはあったものの、状況はおおむね、私の望んだとおりのものとなった。 ポポはゴールドを攫った。そして愛が生まれるより前に実力行使に出た。 彼女が強烈に愛に飢えていることは早くから分かっていた。そして目の前にあるご馳走を、我慢できないような愚昧であることも。 彼女は取り返しのつかない失敗を犯した。償えない罪を犯した。 彼女はもう生涯ゴールドから愛されることはない。 香草チコはこれからポポを殺す。彼女はゴールドに愛されていたのに。愛しすぎて物事の判別がつかなくなり、彼が、ゴールドが何よりも忌み嫌う、自らにとって親しい者を殺すという大罪を犯す。 彼の歪な正義感が、彼女を許すことは永劫無いだろう。 彼女はもう生涯ゴールドから愛されることはない。 残ったのは私一人。もう誰も彼の傍にはいない。寄らせはしない! 彼が私を愛するようになろうとなるまいと――もちろん、彼自身から愛されないことを思うと恐怖で体がばらばらになりそうになる。息が乱れて、彼以外の何も考えられなくなる。それだけは、断じて避けなければならない――、彼の隣にいるのは、生涯、私ただ一人だ。 しかし、勝利の歓喜と、最もほしいものが手に入った愉悦と同時に、寒気も覚える。 ……私は、浅ましい。彼に愛されるには、あまりにも醜悪すぎる。 私は、あの二人のように、ゴールドのために我を忘れることができなかった。 本当に欲しくて欲しくてたまらないのに、それでも私は恥も外聞も無く、後先を考えることも忘れて彼を欲するということが出来なかった。 だからこそ彼が手に入った。 しかし、これは決して美点などではない。 私には、彼女達が羨ましかった。理性も立場も何もかも捨てて、彼を愛するその姿が。彼を愛するだけに命を燃やす、その輝きが。その姿は美しくさえあった。そうはなれなかった、醜い私とは違う。 私には、彼女達のように、後先もなくすべてをかけることが出来なかった。彼をそこまで愛していなかったからではない。愛していたからだ。だからこそ、彼を得られない恐怖に勝てなかった。怯えてしまった。足がすくんで動かなかった。 だから策を巡らせた。巡らせざるを得なかった。これは選択ではなくただの消去法だった。 これが私の本性だ。欲しいのに。何よりも、自分自身よりもそれを欲しているのに、それでも、わが身可愛さに身動きすら出来ない。惨めな私。愚かな私。利己的な私。 彼は、私のこんな醜い本性を知ったらどうなるだろうか。 そうなったら、彼は決して私を愛してはくれないだろう。 彼と私は似ているところがある。 727 名前:ぽけもん黒 32話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 20 42 26 ID WaAYDk/E [5/9] 過去に酷いトラウマを抱え、それがどこまで行っても醒めた心を失わせることを許さない。それぞれ、愛を、正義を望みながら、自身がどうしようもなく歪んでいるから、その歪みが、欲して止まない愛や正義まで歪ませてしまう。彼も私も、どうしようもなく、歪だ。 だから彼は自分のことを愛さない。嫌悪してさえいる。 そんな彼は、彼女によって救われた。香草チコ。忌々しい恋敵。 いえ、彼女にとって、私は敵ですらない。ただの傍観者。路傍の石。 彼の歪んだ正義。その根底にある自己否定。彼は自分で自分自身を許すことが出来なかった。断罪を求めていた。ロケット団撲滅なんてものは、結局はただの自殺願望の延長に過ぎない。彼は語ってくれた。幼き日の苦い思い出を。それを聞いて私にはすぐに分かった。彼が真に求めているのは、復讐でも、正義の鉄槌でもなく、あの日の贖罪だと。彼は自分自身のことを一番罰したかったのだ。死に向かうほどに。 しかし、そんな彼を、彼女は許した。不器用に、それでも一心不乱に、彼のすべてを愛した。そのとき、初めて本当に彼は救われたのだ。彼のすべては肯定されたのだ。 彼は、いえ、私達は、自分で自分を救うことが出来ないのだ。誰かに救ってもらわねば、救われることすら出来ないのだ。 彼女達とは違う。彼女達のようには、なれない。 そう、そういうところで、彼と私は、とても似ている。 だからこそ、彼は気づくかもしれない。私の浅ましさに。自らのうちに渦巻く歪みにとても良く似た、私の醜悪な姿に。最愛の人を喪った失意の中で、その考えに至ってもおかしくは無い。 そうなったら、私は彼を永遠に失う。 それを想像するだけで、怖くて息もできなくなる。 歓喜と恐怖で、それだけで私は壊れてしまいそうだった。 そのせいで。 そのせいで、思考が一瞬、ほんの一瞬鈍った。だから、一瞬、ほんの一瞬、判断が遅れた。 そして、それが致命的な差となってしまった。 その浮かれた心が、悪魔に付け込まれる隙となった。 私の中心で、何かが爆発したような音が聞こえた。 ゴールドを手に入れたときとは正反対の、冷たい爆発。おぞましい、嫌悪してしょうがない、冷たさ。 力が、私の念能力が消えていく。頭部を損傷したんだ。 この爆発の名は、死。 「あ、あ……」 落ちて、消えていく視界の中で、私は私がもう助からないことを、そして私が決定的に、永遠に敗北したことを悟った。 ―――――――――――――――― それは彼女の執念だった。 決定的な敗北を目の前にしても諦めることの出来ないその妄念。 その妄念が、香草チコに彼女の実力を大きく超える力を引き出させた。 香草チコが放ったもの。 それは、ただの小石だった。どこにでも転がっている、ただの。 しかし問題はそれが放たれた速度だ。 その速度は実に音速の三倍以上。 最高速のポポでも避けられない速度で。 その小石は、彼女の念障壁を突き破り、しかもぶれることなく、彼女の頭部にまっすぐ突き刺さった。 その一撃は間違いなく致命の一撃だった。 「やどりさん!」 二種類の、音が聞こえた。一度目は、何かを何かで素早く叩いたような、乾いた音。その刹那の後に、聞こえてきたのは、人の頭部が爆ぜる音。 728 名前:ぽけもん黒 32話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 20 42 49 ID WaAYDk/E [6/9] ―――――――――――――――――――――――― 小鳥の鳴く声で目が覚める。 そこはいつもと変わらぬ、森の中の小さな小屋の中。 広くない部屋には簡素な調度品と保存食が置かれている。 人から見たら、侘しい部屋だと言うだろう。 だけど、私にとってこの部屋はどんな豪邸も比べ物にならないほど価値があるものだ。 何故なら、ここには彼がいるから。 眠っている、愛しい彼に今日も口付けをする。 そうすると彼は決まってゆっくりを目を開け、微笑みながら私を抱きしめてくれるのだ。 「おはよう、やどり」 その音の振動が私の思考を溶かして消す。 顔が熱い。きっと私の顔が真っ赤になっているだろう。 彼は追撃とばかりに私にキスをしてくれる。 「やどりはいつまでたっても慣れないね」 こんな幸せ、慣れることができるわけが無い。 私は内心そう思いながら、強く抱きつく。 ゴールドに出会う前。私には、何も無かった。 私が持っていたものは、すべて奪われて失われた。 両親をロケット団に殺された私は、村からも離れて、ただ死を待つだけの日々を送っていた。 悲嘆の涙を流すうち、私の感情は少しずつ失われていった。 私を襲いに来たロケット団を返り討ちにしたときでさえ、何の感情も沸かなかった。自らが傷つくことにも、何の恐れも感じなかった。相手は憎き仇の仲間だというのに、打ち倒しても何の感慨も無かった。止めを刺すことすら億劫だった。私の中は空虚だった。 私はそのとき初めて、私の人生にはもはやなんの意味もないことに思い至った。 だから死のうとした。 目の前にあったドブの汚さが、酷く自分に似つかわしく思えた。だから、ここで死のうと思い、ドブに浸かって、死が私を終わらせるのをただ待っていた。 そんなとき、私の前に彼が現れた。 彼は私を見るなり、ドブの汚さを意にも介さず飛び込んだ。 そうして、初対面の私の身を、無警戒に、しかし真剣に案じてくれた。 その様子があまりにも必至だったから、私は死のうとしているだなんてとても言い出せなかった。すべてがどうでもいいと思っていたのにも関わらず、私は「怪我が治るのを待っていた」なんて滑稽な嘘を吐いてしまった。 彼のその真摯な態度を見ていると、自殺を選んだ私が、酷く恥ずかしく思えた。 どうしてだろう。感情なんてとっくに失ってしまったはずなのに。もはや何者にも心動かされなくなっていたはずなのに。 それなのに、どうして彼はこんなにも眩しい。 私は、一目で恋に落ちてしまった。 人生に絶望し、つい先ほどまで死のうとしていた人間が恋とは。あまりの軽薄さに笑ってしまう。 それでも、私は自分のこの気持ちを抑えることができなかった。 ああ、私はただ愛されたかっただけなのだ。 ただ、手を差し伸べて欲しくて、小さくなって震えていただけだったのだ。 彼は、ドブの中から私を救い出してくれたのだ! でも、彼のとなりには常に余計なものがいた。 私が愛した彼の優しさは、常に目障りな鳥に向けられ。 私が愛した彼の眩しさは、常に目障りな雑草に向けられた。 どうして。それを向けるのが私ではないのだろう。 煩悶した朝があった。懊悩した昼があった。そうして、満たされなかった夜には一人こっそり咽び泣いた。 どうして私が彼と一番最初に出会うことが出来なかったのか。 ロケット団に両親が殺されたあの日以来。自らの運命を呪うのはこれで二回目だ。 滑稽にもほどがある。両親の死も忘れ、愚かにも恋する乙女に成り果ててしまった私を見て、彼らはなんと思うだろうか。 だけど、それでも私は、その両者を押しのけてゴールドに自分をアピールすることが出来なかった。 恐ろしかったのだ。ゴールドに拒否されることが。自分が傷つくことが。この浅ましさを見透かされることが! この期に及んで、私はまだわが身が可愛かったのだ。 ああ、醜い。浅ましい。こんな私なんて、消えてなくなってしまえ。 ――だけど、だけども彼はこんな私を受け入れてくれた。 こんな私を愛しているといってくれた。すべてを失った私の命を救ってくれたばかりではなく、私に未来をくれた。 ぽけもんリーグを制覇するという旅の目的を達成した後は、私の田舎に戻り、私と二人で暮らしている。 729 名前:ぽけもん黒 32話 ◆wzYAo8XQT.[sage] 投稿日:2013/07/21(日) 20 43 10 ID WaAYDk/E [7/9] 両親と私の三人では狭かった我が家。私一人には広すぎた我が家。そこに私と彼は二人で住んでいる。 あの暖かだった家庭はもう二度と帰っては来ない。それでも、私は先に進めた。 すべて彼のお陰だ。もう私はこの家で一人孤独に震えることは無い。いくら浴びても尽きせぬ幸福がそこにはある。 意識を取り戻す。まだ思考は霞がかかったようにぼやけ、体にはじんわりとした快感が反響している。 朝から盛ってしまった。 でもそれを後悔することはない。 私達には無限のような時間があり、そしてゴールドは私の前から逃げやしないからだ。 今日は何をしようか。 畑の手入れでもしようか。それとも湖に釣りにでも行こうか。久しぶりに街へ出てもいいかもしれない。そうだ、ゴールドの研究で、何か手伝えることはないだろうか。 もちろん、何をするにもゴールドと一緒だ。 この小さな家に、ゴールドと二人。私の人生はゴールドなしでは始まらない。 私の愛しい人。私を救ってくれた人。 そこは私の望んだ世界。私の幸福な夢。 ―――――――――――――――――――――― 落ちてゆく世界で、私が覚えたのは、やはり歓喜と恐怖だった。 命が失われる恐怖。ゴールドと離れ離れになる恐怖。ゴールドと永遠に決別するという、耐え難い、身を裂かれるような酷い恐怖。 しかし、これで私の醜い心根がゴールドに知られることは永劫なくなった。私が、ゴールドに嫌われることは永遠にありえないこととなった。そのことに、私は心から安堵する。 それに、これなら。 これならゴールドは、絶対に私を忘れることは無い。私は、ゴールドの中で、最後まで一緒にいられる。綺麗なままで。ゴールドの最期まで。 それは、とても素敵なことだ。ゴールドと二人いっしょにいられることの次に、だけれど。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1534.html
12 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 34 26 ID o9Rjb4dh 「か、くささん」 僕の口から出た声はかすれていた。 背後からポポが翼を広げる音が聞こえる。 「ど、どうしたの? 変なゴールド」 どうしたのと問うておきながら、当の香草さん自身にも動揺が見える。 というか、挙動が不審といった方がいいのか? 目はあからさまに泳いでいるし、手は落ち着きなく、所在なさげに体の前を彷徨っている。 動揺している香草さんを見ることで、反対に僕は少し落ち着きを取り戻した。 「香草さんこそ、どうしたの、その服。まるで病院から抜け出してきたみたいじゃないか」 僕がそう言うと、香草さんは慌てた様子で患者衣の上に手を走らせた。 「ち、違うの、これは急いでいたから……」 「何か急ぐことでもあったの?」 「な、何も! あ、あはは、そうよね。何を慌ててたんだろ、私……」 彼女はそう言って息を漏らした。 そうして、僕から視線を外し、僕から見て右下の辺りを見た。彼女の視線の先を辿ってみたが、そこには地面以外のものは特にない。 おかしい。 香草さんは確実におかしい。 僕はすぐにそう思った。 いや、このおかしいっていうのは今までと違うって意味のおかしいで、決して頭がおかしいとかそういうことでは…… とにかく、患者衣だとかそんな些細なことではない、もっと根本的なずれのようなものを感じた。 周りの景色は動いていくけど、僕たちは誰一人動かない。 まるで僕達だけ世界から取り残されたような、そんな気分だ。 「と、とりあえず、中に入ろうよ」 道行く人の視線でそのことに気づいた僕は、皆を促す。 後ろを向くと、ポポはまだ険しい表情をして翼を振り上げたままだった。 いつでも飛びかかれるようにしているのだろうか。 やどりさんは相変わらずぼーっと……いや、やどりさんも厳しい表情をしていた。 これも進化の賜物か。 ポポは僕と目が合うと、すぐに視線を逸らし、翼を下げた。 僕はポポの頭にポンと手を置く。 やどりさんは香草さんを睨みつけたままだ。 睨みつけられた香草さんはおどおどと地面を見る。 「やどりさんも、ね?」 僕はやどりさんの手をとり、笑顔を作った。 彼女はしぶしぶ、といった様子で僕に随った。 しかしまだ後ろの香草さんを警戒している。 並んで歩く僕達の後ろを、五メートルくらい遅れて香草さんがついてくる。 その動作にはどこか遠慮が見て取れた。 僕達が部屋に入っても、彼女は入り口の扉の前でオロオロするばかりで、部屋に入ろうとしない。 「そ、そんなところにいないで入ってきなよ」 彼女があまりにも挙動不審なので、僕も若干動揺しながら声をかけた。 「う、うん」 相変わらずぎこちない動きで、僕(右にポポ、左にやどりさんが座っている)と向かい合う形でベッドの縁に腰掛けた。 「あ、ええっと、体はもう大丈夫なの?」 「え、ええ」 「それならよかった」 「よかったですねえ。なら、もうどっかいってくれないですか?」 僕達のぎこちない会話に、ポポが割って入った。それもとんでもない暴言で。 「ポポ!」 「忘れたとは言わせないです? チコは確かに言ったです。『負けたら契約を解除しろ』です」 ぽ、ポポーー!! 「そ、そもそも僕はそれにうんと言った覚えはないよ!」 何とかポポを止めようと僕は使い古された言い訳を繰り返す。 僕を見たポポは、急に弱気というか、儚げな感じになって言う。 「ゴールド……ポポ達じゃ不満です?」 「う、な、何を言って……」 「ポポ、チコみたいにわがまま言わないです。ゴールドを傷つけたりもしないです。ただゴールドがポポを好きだと言ってくれるなら、いや、大切に思ってくれるなら、それだけでいいです。それだけで何でもするです。どんなことでも……たとえそれが悪いことでも……」 ポポの言葉で僕の心臓は跳ねた。 13 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 35 08 ID o9Rjb4dh 「どうしてそれを!」 その言葉を発した瞬間、彼女達は一様に不思議そうな顔をした。 しまった。 誰にも話してないんだ、誰も知っているわけがない。 悪いことっていうのはただの一般論だ。 墓穴を掘った。 「あ、いや、なんでもない」 慌てて取り繕うが、皆、僕が何かを隠していることに気づいてしまっただろう。 白々しいと思いつつも、慌てて話を逸らす。 「そ、そんなことより……」 「私も、ポポと同じ。ゴールド、私……ゴールドと出会わなかったら……一生進化も出来なかった。ゴールドは大切な人。私にとっては、この世界の……すべてよりも」 僕の言葉に被せるように、やどりさんが凛とした調子で言った。 な、やどりさんまで! そもそも一生進化できなかったとか、大げさだよ! 僕が口を開く前に、やどりさんは香草さんに向き直り、言葉を続けた。 「あなたは……どう?」 「わ、私は……」 問いかけられ、言いよどむ香草さん。 そんな彼女を、ポポは鼻で笑った。 「決まりです。ゴールド、はっきりしたですよ。あんなの……」 「あんなのいらないです」 瞬間的に、室内は静寂に包まれた。 何の音もしない。誰も口を開かない。 フォローの言葉も考え付かない。頭が真っ白だ。 ポポはこんな大それたことを言ったにも関わらず平然と香草さんを見ている。やどりさんも、無機質な瞳で香草さんを見ていた。 香草さんは俯き、肩をブルブルと震わせている。 今の彼女の内面に渦巻くのは、屈辱か、混乱か、それとも、もっと別の何かか。 「ふ……」 香草さんの口から、息のようなものが漏れた。 何だろう、嫌な予感しかしない。 僕は体を固くした。 「ふざけるなこの下等生物が! さっきから黙って聞いてればいい気になりやがって!」 香草さんが、きれた。それも今までで最悪だ。 顔を上げた香草さんから、荒々しい罵倒の言葉が飛び出した。 怒りで彼女の顔は鬼灯のように赤く、発せられたその声はもはや絶叫に近い。 嫌な予感は見事的中だ。 外れてくれても何も困らないって言うのに。 僕の顔が恐怖で引き攣る。 「大体、ゴールドも何でさっきから言うがままにさせてるのよ! 私のことなんかどうでもいいっていうの!?」 決してそのようなことはないと言いたいけど、余計な弁明は彼女の怒りをさらに燃え上がらせそうだ。 というかそもそも会話が可能な状態に思えない。 彼女は僕の沈黙(と言ってもコンマ数秒にも満たないわずかな間だった)を肯定の意思と受け取ったようだ。理不尽だ。 「そう、そういうこと。自分の思い通りになる女を二人も侍られて、アンタはさぞかしいい気分でしょうね!」 えええ!? なんでそういう話になるんですか!? 「この屑! 変態! ゴミ虫!!」 どうして僕はこういう方向で罵倒されてるんだろう。意味が分からない。 香草さんの気に入らないポイントはどこなの? 「香草さん、落ち着いて! 香草さんが何を言いたいのか、僕にはさっぱり分からない。後、ポポもやどりさんも、そんな軽々しく自分の人生を他人に預けるようなこと言っちゃダメだよ」 僕は出来るだけ角が立たないように、意識して柔和な声で言った。 しかし予想通り、香草さんは僕の言うことに聞く耳なんか持っていなかった。 一人で自分の世界を突っ走る。 進路上にいる僕の意思なんてお構いなしだ。 このままじゃ彼女という暴走車に轢かれてしまう。 「アンタみたいなゴミ虫、このままでは生かしてはおけないわ。有害生物として駆除されないように、たっぷりと教育する必要があるようね!」 えええええ!! さっぱり展開が理解できません! 何で僕は命の危機に!? な、何を言いたいか理解できなかったのがいけなかったの!? 14 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 35 31 ID o9Rjb4dh 「じょ、冗談でしょ?」 しかし彼女の言葉は性質の悪い冗談じゃなかったようだ。 袖口から数十の蔦が飛び出し、部屋を突っ切って僕に襲い掛かる。 それは僕が道具によって迎撃する前に、すべて地面に叩きつけられた。 隣を見ると、やどりさんが険しい表情をしながら右手を伸ばしていた。 「もう証拠としては十分。この女の本性は明白。ゴールドを傷つけるなら、排除する」 やどりさん、排除だなんてそんな。香草さんもやめてくれ。 僕の頭にそのような言葉が浮かぶか浮かばないかのその時。 瞬間、世界が混濁した。 上下左右の区別なく、視界は灰色の渦に包まれた。 室内の物と言う物がガリガリと音を立てながら壁を削り、自身も粉砕されていく。 同じく混沌の渦の中にある香草さんの悲鳴がそれに唱和した。 耳には痛いほどの音が雪崩こんでくる。 それなのに、どこか静けさすら感じる。 そんな狂乱の中にあって、僕とポポとやどりさんは平穏に包まれていた。 台風の目、渦の中心。 何と言っていいか、とにかく、この室内にあって、ここだけが平常時のような穏やかさだ。 あまりの騒乱に、僕の思考はすっかり麻痺してしまっていた。 胃液が胸にこみ上げてくる。 舌にかすかに酸味を感じた。 「や、やめてよやどりさん!」 僕がこう言いながらやどりさんに縋ったのは、この光景が生み出されてから優に十秒は過ぎてからのことだった。 混沌に包まれていた世界は瞬時に静止し、秩序を取り戻した。 一拍置いて、宙に浮かんだまま固められていたものすべてが部屋に降り注ぐ。 原型を留めているものはただの一つたりともなかった。 壁には猛獣が暴れ狂ったかのような荒々しい傷跡が無数に刻まれている。 そして、室内は朱で染め上げられていた。 埃っぽい部屋の空気に、鉄の臭いが確かに混じってるのが感じられる。 「か、香草さん!!」 真っ赤に染まった瓦礫の中からかろうじてそれを識別した僕は、すぐさま彼女に駆け寄ろうとする。 しかし体が動かない。 まるで金縛りにでもあったかのように……ってこれやどりさんの金縛りだ。 やどりさんに抗議を行おうとしたが首どころか瞼すら動かせない。 瞬きすら許されていない。 そのせいで部屋を舞いまくっている埃が目に入りまくって結構痛い。 しかし声も出せないのでそのことを伝えることも出来ない。 相当に強い金縛りだ。 進化によって増したのは行動の速度や活発さだけではなかった。 彼女の念動力は今までとは比べ物にならないくらい強くなっている。 あの香草さんが抵抗一つできず、襤褸切れのように扱われるなんて。 「起きろ。息があることは分かっている」 彼女はこんな凄惨な光景を作り出しておきながら、眉一つ動かさず、冷淡に血まみれの塊に呼びかける。 う、と呻き声を漏らした香草さんは上から吊り上げられたように不自然に立ち上がった。 いや、事実香草さんは立ち上がったのではなく、やどりさんの念力で吊られたんだろう。 吊られた香草さんは、乾いた咳とともに赤いものを口から吐いた。 香草さん! 声を出そうとしても口を動かすことすら出来ない。 涙が出てきた。 こ、これは埃が目にしみただけなんだからね! 勘違いしないでよね! 精一杯の虚勢を張らなければ、まともな思考すら保てそうにない。 吊られた彼女はゆっくりとねじれていく。 ギシギシという何かが軋む鈍い音とともに、床に血がポタポタと滴っていく。 落ちた血はすぐに厚く積もった埃に吸い込まれていった。 やめろ。もうやめてくれ。 僕は心の中で絶叫する。 目を背けたくても背けることすら出来ない。 圧倒的なまでの無力。 15 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 36 18 ID o9Rjb4dh 絶望感に打ちひしがれ、自分の意識を手放してしまおうかと思ったそのとき。 突然視界が閃光に包まれた。 ぎゃああああああ!! 瞼が閉じれないから目を瞑れない。 あまりの眩しさに脳が焼きつきそうだ。 意識ごと半ば白く塗り込められたところで、僕はガラスの蹴散らされる音を聞いた。 突然金縛りが解かれ、僕はそのまま崩れ落ちた。 のどの辺りまで酸っぱい物が競りあがってくる。 僕の思考まで白く染めたあの閃光。 香草さん渾身のフラッシュは見事全員の視界を塞ぎ、やどりさんを怯ませた。 それで念力が弱まった隙に窓から逃亡、ということだろう。 まだ目が見えないので憶測でしかないけど。 「逃げられたです……」 ポポの残念そうな呟きが聞こえる。 やはり僕の想像は間違っていないようだ。 先ほどの衝撃的な映像のショックだろうか、それとも強光をもろに受けたせいだろうか。酷い吐き気がする。 目が碌に見えないので手探りで、思うように動かない体を引き摺りながら窓際まで行く。 しかし僕の手に伝わってきたのは冷たくて固い壁の感触ではなく、暖かで柔らかい人の感触だった。 未だ回復しきらぬ僕の目に、ぼんやりとシルエットが映る。 僕はその影に呼びかけた。 「ポポ? 僕を窓まで案内してくれ。香草さんはどうなった?」 「あの女ならもう見えないです。案外余力を残してたみたいですねぇ。血の跡を追えば追いかけられないこともなさそうですけど」 ポポはこともなげに言った。 「ポポ、どうしてポポはそんなに平然としてられるんだ? 一緒に旅をしてきた仲間じゃないか。それがこんな……」 「仲間じゃないです。チコがそう言ってたじゃないです?」 「それは……」 「それにしても、チコは酷いことするです。最後の最後までゴールドを傷つけたです。でももう大丈夫です。もうチコはいないですよ」 ポポはそう言って、僕を胸に抱いた。 視力の戻ってきた視界に映ったのは、ポポの溢れるような笑顔だった。 何より恐怖を覚えながら、僕は上体だけ後ろに向けた。 「やどりさんだって、物には限度ってものがあるよ! これは明らかにやりすぎだ! それに最後、まともに抵抗も出来なくなった香草さんに何をしようとしたんだ!」 「……だって」 「だってじゃありません!」 僕がこういうと、やどりさんはまるで親に叱られた子供みたいな表情をした。 ああ、どうしてそんな困った顔をするのさ。 まるで本気で僕がどうして怒っているのか理解できていないみたいじゃないか。 みたいじゃなく、本当にできていないんじゃないか。 一瞬そんなよくない考えが脳裏をよぎったが、僕はそれをすぐにかき消した。 だって普通の人間なら当たり前に分かっているはずだ。 だから彼女達だって分からないはずがない。そうさ、そうに決まってる。 つまり、これはただの思い違いだ。 視力も戻ってきたし、今は説教を行っている場合じゃない。 一刻も早く、香草さんを見つけないと。 彼女の怪我は見るからに深刻だった。かなり動けるとはいえ、お医者さんに見せないと命に関わるんじゃないか? 僕はリュックを掴むと窓から飛び出した。 「とにかく、香草さんを連れ戻してくるよ!」 着地した僕は、地面に点々と付いた血の跡を辿って走り出した。 結局、これは無駄足に終わった。 あの重症、この短時間でどれだけ遠くに移動したのかと不思議になるくらい、血痕は長く遠くまで続いていて、そしてそれは街の外れで唐突に消えた。 街中ならともかく、この辺は殆ど人通りもない。目撃者は望めなさそうだ。 どうしてここで突然途絶えたのか。 僕は検討も付かず、出来ることも思いつかず、ただただ途方にくれた。 16 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 37 02 ID o9Rjb4dh 日が暮れたあとの道を、警察に届け出ようか迷いながらポケモンセンターに戻ると、ポポとやどりさんが事情聴取されていた。 激しく動揺したが、すぐに自分の浅慮に気づいた。 あれだけの破壊を行ったんだ、騒ぎにならないはずがない。 それなのに、気が動転した僕はそんなことにも気づかず飛び出してしまった。 婦警さんに話しかけた僕は、さらに驚愕することになる。 香草さんが指名手配されそうだ。 どうも、彼女達はあの惨状を香草さんが引き起こしたものだと説明したらしい。 確かに半ば間違ってはいないのだけれど、彼女達の説明は香草さんを一方的に悪に仕立て上げるような捏造だった。 その結果、重要参考人として指名手配されることになりそうなのだ。 僕は必死の説明を行ったけど、何せ二対一である。 しかも、他の人によって見つけられたときに僕は現場にいなかった。 いまいち証明として弱い。 婦警さんからはパートナーを不当に庇ってるんじゃないかと言わんばかりの目で見られ、責められた。 迂闊だった。慌てて香草さんを追いかけたりせずに、ちゃんと真っ先に周囲に説明しておけば。 もしかして彼女達が僕を止めなかったのはそのため? そんな疑念が生まれた。 結局、僕の必死の弁明が通じたのか、それとも彼女達の証言が証拠として不十分だと見なされたのか、とにかく、指名手配は免れた。 とはいえ、事件の参考人ではあるし、このままにしておくわけにはいかないので僕も捜索願を出した。 とりあえず責任の所在はうやむやになり、修繕費は保険屋さんからでるということで落ち着いたようだ。 どうやら多少設備が壊れることくらい日常茶飯事らしい。 尤も、ここまで酷いのは滅多にないけど、と苦笑いを浮かべながら言われたが。 「はあ……」 新たにあてがわれた部屋で、僕は深い溜息を吐いた。 ポポに気遣ってここ最近は吐かないようにしてたんだけど、もう我慢出来ない。 このままじゃ、僕の胃に穴が開いてしまう。 深く溜息を吐いた僕を、二人は困ったように見ている。 部屋に入るなり、そこに直れと僕が命じたため、彼女達は棒立ちすることしかできないのだ。 だからいつもの過剰なスキンシップを喰らう恐れはない。 「さて、色々言いたいことはあるけど、とりあえず……」 ここで一旦区切り、息を吐いた後、続ける。 「どうして嘘を吐いて、香草さんを犯人に仕立て上げたんだ?」 僕は成る丈険しい表情を作り、二人を睨む。 射竦められた二人は、慌てた様子で同時に弁明を始めた。 当然、僕は同時に話されても理解できないので、二人を制止する。 「言い訳は一人ずつ聞こう。まずはポポから」 「あの、ゴールド……怒ってるです?」 「ああ」 僕は出来るだけぞんざいにそう言い捨てた。 事実、僕はこの旅を始めて以来、最大の苛立ちを感じていた。 それが少々八つ当たり的に彼女達に向けられていることに少しばかり心が痛まなくもなかったが、しかし、彼女達には怒られるだけの正当な理由があった。 「で、どうしてこんな嘘を吐いたんだ」 あぅぅと涙ぐむポポに、僕は容赦なく言う。 「や、やどりがそうしようって言ったです! だって、そうするしかなかったんです!」 やどりさんが何か言おうとしたけど、僕はそれを遮って話を促す。 「そうするしかなかったってどういうことだよ」 「だって、喧嘩して、部屋を滅茶苦茶にして、相手に大怪我させたなんて言えないです……」 確かに、その通りに証言すれば、問題になるのは避けられない。 「だからって、誤魔化していい問題じゃないだろ!」 「ゴールドだって、いつもそうしてるじゃないですか!」 うぐっ! ポポの言葉が僕の胸に突き刺さる。 普段の僕はそういう意図で物事を大事にならないようにしていたわけじゃないんだけど、そうか、ポポにはそう見えていたのか。 17 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 38 06 ID o9Rjb4dh 「つまり、誤魔化そうって発案したのはポポなのか」 「そ、それは……」 言いよどんだのは肯定の代わりと思っていいだろう。 親の背中を見て子は育つという。 つまりポポは僕の普段の行動から学んだ結果、事件になるのを避けようとして、それにやどりさんが知恵を貸したということか。 ははははは。笑えない。 つまりなんだ、結局責任は僕にあるってことなのか? 「それに、これは証明」 真実が暴かれたので、弁明の必要がなくなったやどりさんが口を開いた。 「証明って何の?」 「ゴールドのためなら、私は罪を厭わないことの」 「なっ……」 言葉が出なかった。 ポポの、「ぽ、ポポもです!」という言葉が遠くに聞こえる。 僕はひょっとして、とんでもない場所にいるんじゃないだろうか。 僕の信用を得るためだけに人一人を殺しかけた。 さらに全ての罪をその無実の……無実のというのは言いすぎかもしれないけど、とにかく、その被害者に着せようとしている。 そしてそんな行為をなんとも思わない、強大な戦闘力を持つ者がこの狭い部屋に二人もいるのだ。 ロケット団のアジトだって、もう少し空間辺りの危険人物密度は低い気がする。 僕はどうするべきなんだろうか。 二人に対して、懇々と説教しても、それが効果あるとはとても思えない。 ならしかるべき機関や人物に訴えるか? いや、ダメだ。そんなことになれば二人ともただじゃ済まない。 僕は二人を罰したいんじゃなくて助けたいんだ。そんなことは本末転倒だ。 それに、警察は物事を混迷させるばかりで、よい方向に運ぶことはない。 僕はシルバーのときのことのせいで、根本的に警察不信なのだ。 それに、この状況は僕にとって必ずしも不都合ではない。むしろ好都合なくらいだ。 二人を僕の共犯者に仕立て上げる。 もちろんそのことに抵抗がないとは言わないけど、僕にはそれが最良の方法のように思えた。 むしろ、共犯者にすることが彼女達の危険な行動の抑止にも働くはずだ。 溜息を一つ吐いた後、意を決して僕は話し始めた。 「二人の気持ちはよく分かった。だから言うよ。最後まで落ち着いて聞いて欲しい。僕は、一人の友人を救うために、一人の元友人を殺すつもりなんだ」 少し気取った言い回しだと思う。 でも、咄嗟に出た言葉がこれだった。 僕は今まで、シルバーが自分の友人だったことを否定していたのだと思う。 どこか、彼を直視したくない気持ちがあった。 しかし、自分の殺意を告白することが、かえって僕を冷静にした。 口に出した以上、後戻りは出来ない。 僕は、昔からずっとシルバーを恨んでいた。それも、殺してやりたいくらいに。 ランの父親を殺し、僕やランの幸せな生活を奪ったシルバー。そのとき僕が感じた無力感。 僕はシルバーが、何よりも何も出来なかった自分が許せなかった。 だから、僕は僕の手でシルバーを裁く。 ずっとそう思っていた。 時間の経過とともにその感情は冷め、火はすっかり消えたと思っていた。 ところが、それはただ灰に埋もれて隠れていただけだったらしい。 再びシルバーにあったとき。 僕の中にあったその燠火が再び激しく燃え上がった。 僕はもう、この気持ちを無視することは出来なかった。 今度こそ、シルバーに罰を与える。 そしてランを助け出す。 もちろん、ポポややどりさんには関係のない話だ。 だから二人を巻き込むことに抵抗がないとは言わない。 それにいくらシルバーが悪人だからと言って、殺せば人殺しだ。なんらかの罪に問われる可能性は高い。 18 :ぽけもん 黒 20話 ◆/JZvv6pDUV8b :2010/04/05(月) 12 39 11 ID o9Rjb4dh だけど、僕は。 親を殺し、その娘を洗脳して悪の手先として利用する。 こんな非道が他にあるだろうか。 仮に逮捕されたところで、事件当時の年齢を省みると、何か他の事件でも立件できない限り、死刑なんて到底望めない。 更生の余地だのなんだの言って大した刑にならないに決まってる。 あのシルバーに更生の余地なんてあるわけがない。 善良な心を持っていれば、最初からこんな悪事を働くわけがないじゃないか。 僕はシルバーを許せない。 「初めに言っておく。僕は決して殺人を肯定するわけじゃない。裁いていいのは法であってお前じゃないって何も知らない人たちは言うと思う。 けれど、この十年、警察は何も出来なかった。でも、僕達なら出来る。なら、僕達がシルバーを殺し、一人の女の子を救うことは正しいことだと、僕は思う。 だから、この一度だけ、僕に力を貸して欲しい。……こんなことに巻き込んでおいてなんだけど、君達には出来るだけ迷惑をかけないように努力するよ」 彼女達は黙って僕の口上を聞いていた。 「もし警察に訴えるなら今だ。今なら君達は余計なリスクを負わなくてすむ」 ポポはくすりと、柔らかな笑みを作った。 そして、幸せそうに言う。 「ゴールド。ポポの答えは最初から決まってるです。ポポは……」 ポポがそこまで言いかけたところで、言葉を奪うようにやどりさんが割って入った。 「……私のすべては、あなたの望みのままに」 そうして、僕に傅くように、僕の前に跪いた。 隣のポポは信じられないと言った様子だ。今にも悲鳴が聞こえてきそうだ。 「……っ!! 大事なところで割り込むなです! 折角ポポが……」 やどりさんに食って掛かるポポのギャアギャアという声の裏で。 卑怯者。あなたはそれで満足? 僕は香草さんの罵りの声を聞いた気がした。 僕が計画を打ち明ければ、彼女達は僕に従う。 そんなことは最初から分かっていたんじゃないか? 分かっていたからこそ、彼女達に打ち明けたんじゃないか? そんな声が僕の脳内に木霊する。 分かっていて、それでも良心の呵責も背負えない、卑怯者の僕は、あえて僕が強要するんじゃなく、彼女達に選ばせる形式を取った。 自分の罪悪感を誤魔化す、ただそれだけのために。 彼女達を引きずり込んだ。 彼女達に、背負わなくていい罪を背負わせるために。 卑怯者。 僕はそんな声々から耳を背け、二人にこれからの計画を話した。 大雑把に言えばこうだ。 ロケット団は再結成した。 つまり、このまま旅を続けていれば、いつかロケット団の情報が舞い込んでくるだろう。 今までのことから言っても、そこにシルバーもいる可能性は高い。 だから、僕達は今までどおり旅を続ければいい。 もちろん、絶対に騒ぎを起こしてはダメだ。 そのときが来るまで、できるだけおとなしくしているべきだ。 同時に、僕は君達が殿堂入り出来るように全力を尽くす。 シルバーに会えなければそのまま殿堂入り出来るように。 そうなった場合は、僕はメディアを通して大々的にシルバーの非道を訴えることが出来る。 世論が動けば、警察も優先して動かざるを得ない。厳罰を科さざるを得ない。 そうなれば、彼女達は人殺しなんて誹りなんかとは無縁の、保障された素晴らしい生活が送れることだろう。 僕がつまらない意地を通さなければ、これ以外の選択なんかあるはずもないのだけれど。 だけど、僕は……。 そうして、僕達はこの街を後にした。 あ、古賀根ジムは秒殺で勝ちました。 古賀根ジムは相手方のおっぱいがすごくおっぱいなこと以外、特筆すべきことはなかったです。
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/2214.html
745 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 50 27.19 ID /YmBUMpA [2/9] 時刻は未だ早朝。 窓からではなく、キチンと玄関からポケモンセンターに入場した。 ロビーで香草さんに向き直る。 「香草さんはここで待ってて。事情を説明してくるから」 「どうして? 私が一緒にいたらダメなの?」 「ダメっていうか……また喧嘩になって欲しくないから」 「大丈夫よ。私、もう負けないから」 圧倒的に間違った論点で大丈夫とか言ってるうちは大丈夫じゃない。 そういえば香草さんはあれから進化して、能力も倍増している。 香草さんは基本的に自信過剰とはいえ、実際、今度は勝算があるのかもしれない。 でもそもそも最初から勝算云々の話じゃないんだ。 「と、とにかくここで待ってて。すぐ戻ってくるからさ」 香草さんは明らかに不満げだ。 このまま問答を続けたところで、おとなしく従ってくれるとは思えない。 そんなとき、僕の脳裏に一つの案が閃く。 冷静になって考えればどう考えても有効とは思えないその案だったが、そのときの僕は浮かれていたのだろう、その案を実行に移してしまった。 膨れっ面の彼女の肩を抱くと、彼女が何かリアクションをとる前に、そのまま彼女の唇に口付けた。 「少しだけ待っててよ。それじゃ」 顔を真っ赤にして、唖然とした表情をしている香草さんにそれだけ告げると、足早に部屋に向かった。 あーあー恥ずかしい。僕は何でこんなことを! 顔を真っ赤にしたのは香草さんだけではなかった。 急に恥ずかしくなり、地面をのた打ち回りたくなる。 あまりにもキザだ。いくら香草さんがデレデレだからって調子に乗るのも大概にしろ! 廊下を早足に歩きながら、僕は叫びだしたい衝動を必死に押さえる。 後悔先に立たずだ。まったく。 あっという間に部屋の前まで来た僕は、顔の火照りを沈めるために深呼吸を繰り返し、それから部屋に入った。 「やあ、ゴールド」 驚いたことに、やどりさんは平然とベッドに腰掛けていた。 まるで言う前から僕がいなくなった理由を知っているかのように。 「いったいどこに行っていた?」 やどりさんは微笑みながらそう続ける。 僕は彼女が発す独特の雰囲気に気圧されていた。 さっきまで浮かれていただけに、余計に動揺が起こる。 「あ、あの、さ、落ち着いて聞いて欲しいんだ。ちゃんと最後まで」 「もちろんだ」 やどりさんが落ち着いているのはいつものことである。 しかし、こちらが動揺しているときにこうも平静に振舞われると、どうも落ち着かない。 僕は切り出すのを少し躊躇った。しかし、すぐに口を開く。 「……香草さんと、会ってきたんだ」 ジリ、と空気が軋む音が聞こえた。 「……どういうことか、詳しく話して」 空気が張り詰めたと思ったのは、僕の気のせいではないだろう。 「その前に、約束して欲しいんだ」 「約束?」 「もう香草さんと喧嘩したりしないって。あ、いや、喧嘩しても、言葉で済ませる、手は出さないってことを」 「ゴールド、何を言っているかよく分からない。あの女はもう私達には関係ない。そうでしょ?」 やどりさんの言葉には有無を言わさぬ圧力が含まれていた。 寸簡、息が詰まった。しかし、気おされるわけにはいかない。 僕は拳に力を込めると、意を決して話し出す。 「……単刀直入に本題から言うよ。パーティーに私情を持ち込むことはごめんなさい。……僕は香草さんと付き合うことになった」 瞬間、突風が僕の両脇を駆け抜けた。 窓は開いている。 だから風が吹く条件は揃っていて、それはただの突風であっても何の不思議も無い。 そうだ。やどりさんがサイコキネシスを使う理由なんて、ない。 無いはずだ。 「……それで?」 746 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 51 29.40 ID /YmBUMpA [3/9] 「だ、だから、香草さんと契約解消はしない。出来れば、皆で一緒に旅を続けたいんだ。だから、仲良くして欲しい」 やどりさんは無表情で押し黙っている。 「僕の我儘でこんな面倒なことになってしまったことは本当に申し訳ないと思っている。けど、僕は……」 いや、言い訳はやめよう。面倒に巻き込まれるほうからしたら、どんな正当な理由だって理由にはならない。 「せ、せめて、仲良くは無理でも、喧嘩はしないで欲しいんだ。この間みたいなことは、絶対に……」 「大丈夫」 肯定するやどりさんの言葉はやけに力強い。嫌な予感しかしない。 「だ、大丈夫って?」 「正直に言って欲しい。あの女に何を言われたの?」 「な、何って……『好き』って」 「違う。そうじゃない。あの女は力を背景にゴールドを脅迫した。そうでしょ?」 有無を言わさぬ強い口調だ。だけど、それに従うわけにはいかない。 「ち、違うよ! 僕は本当に……」 「……大丈夫。無理をしなくて、いい。私がついている」 まずい。致命的に話が通じない。 しかもやどりさんから漂っている空気は、以前香草さんが凶行に及ぶときのそれに似たものがあった。 正直、やどりさんはまともに戦って勝てる相手じゃない。 何せ、超能力は目に見えない。故に回避がとても難しい。しかも地形の拘束を受けない。つまり地の利は彼女にある。さらに、超能力相手に攻撃は無駄だ。僕の最強武器である忌まわしき毒ナイフも、サイコキネシスの前にはまるで無力だ。 となると残された手は逃走のみ。僕が煙玉に手を伸ばすのと、彼女のサイコキネシスが僕を捕まえるの、どちらが速いだろうか。 ……愚問だ。もう僕は彼女の手中にあるも同然、彼女がその気になれば、僕に打つ手は無い。 僕が斬ることのできるカードは説得の一枚のみ。苦しい状況だ。 この恐怖がただの下らない杞憂であることを願うばかりだ。 「やどりさん、落ち着いて聞いて欲しい。僕は本当に脅迫されたわけでもなんでもないんだよ。本当に香草さんが好きなんだ」 僕がそれを告げた瞬間、彼女の周りを立ち込めていた“嫌な感じ”が急激に縮小していくのを感じた。 「……そう」 やどりさんは泣きそうな顔でそう呟く。 「……分かった。私は、ゴールドの言うとおりに、する」 彼女は途切れ途切れにそう答える。 先ほどの不穏な気配からすると、妙に聞き分けがよく思える。 いや、やっぱりただの杞憂だったのかな。 それとも、やどりさんは僕のことをまるで恩人のように思っているから、僕が自分の意思でそう決めたのなら、それに反対したくはないのだろうか。 「あの、香草さんも話せば分かってくれるようになった……と思う。だから大丈夫だよ」 「……うん」 彼女はただ悲しげに俯くばかりだ。非常に心苦しい。 しかしとりあえずこれで第一の障害はクリアーだ。 後は香草さんがなんと言い出すか、そして―― ――ポポがどう出るか。 ポポが僕に執着してるのはもう多分間違いない。 となると、この状況をおとなしく見過ごすとは思えない。 ……物騒なことにならなきゃいいけど。 いったいなんというべきか。 今から頭の重い話だ。 ま、まあ今はとりあえず目先の成功を喜ぼう。 「じゃあ、香草さんを呼んでくるよ」 そう言って、僕は部屋を後にした。 ロビーに戻ると、香草さんは未だキスの衝撃から抜け出せていなかった。 赤い顔をして、左右に揺れながらどこか遠くを見ている。 早朝のポケモンセンターに不審者が二人。 無論一人は香草さん。そしてもう一人は、それを見てついにやっとしてしまった僕である。 「香草さん、迎えに来たよ」 「ダメよゴールド、断然シルクより綿の方が……って、え?」 え? って、僕がえ? って感じだよ。 「やどりさんに分かってもらえたよ。これでまた一緒に旅が出来る」 僕がそう告げたとき、香草さんの表情が若干曇った。 「あー、確かにやどりさんに言いたいことはあるだろうけど、出来るだけ穏便に……」 「ねえゴールド、私だけじゃだめなの?」 「はい?」 747 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 52 51.03 ID /YmBUMpA [4/9] 「私と二人だけじゃ……」 これはもしかして…… 香草さんは嫉妬してるのか? 「だってゴールドには私だけを見ていて欲しいし……」 香草さんは口に手を当て、もじもじしながらそう続ける。 これは間違いない! 彼女は嫉妬している。 か、可愛い! なんてかわいいんだ香草さん! 恥ずかしげに振舞う香草さんがまさかこんなに可愛いなんて! 今まで香草さんはすぐ照れ隠しに暴力を振るってきたからとてもそれを愛でる余裕なんて無かったけど、こうしてしおらしく振舞う香草さんの可愛さはもう今まで彼女から受けた虐待全て水に流せるくらい可愛かった。 数秒その可愛さに見とれた後、ハッと正気に返る。 危ない危ない。今はこうしてしおらしく振舞ってるけど、いざやどりさんを前にしたらどう出るか分からないのが彼女だ。ちゃんと話をつけておかないと。 上がりっぱなしの頬の筋肉を下げ、涎を拭って切り出す。 「香草さん、やどりさんはあくまでパーティーの一員だよ。僕の彼女は香草さんだけだよ」 ……なんてキザったらしい発言だ。我ながら嫌になる。 もしかして僕は思ったよりかっこつけたい願望が強いのだろうか。 しかし、こんな台詞でも、彼女には効果覿面だったらしい。 再び顔を真っ赤にしてフラフラしている。 「か、彼女……ゴールドのたった一人の彼女……ふ、うふふふふふ……」 心ここにあらず。本当にすごい浮かれっぷりだ。 畳み掛けるように言葉を重ねる。 「そうだよ。だから決して暴力を振るったりしちゃダメだよ」 「う、ん。暴力なんて……えへへへ……」 よし、これでいいだろう。 ちょっと正気じゃない気もするけど、多分大丈夫さ。 ニコニコしていた香草さんも、さすがに部屋の前に来ると顔が引き締まった。 静かに力を巡らせているのを感じる。 臨戦態勢だ。 僕は咄嗟に跳びかかれないよう、自分が邪魔になるような位置に立って戸を開けた。 床にうつぶせにやどりさんが倒れていた。 「や、やどりさん!?」 僕は慌てて駆け寄り、名を呼ぶ。 「ん、あ、ゴールド……」 答える声は本当に力が篭っていない。 僕がここを離れていた数分の間に、一体何があったんだ? 「やどりさん、どうしたの!? 誰に襲われたの?」 「襲われてなんか、無い……」 「へ?」 「……疲労が出た。動きたくない」 ……過労で倒れたということだろうか。 確かにやどりさんは自身も怪我を負ったにも関わらず、ずっと僕を気遣ってくれていた。疲れていても当然だ。 「大丈夫? 看護婦さん呼ぶ?」 「いい……しばらくこのままでいれば、大丈夫」 「せめてベッドとか……」 「いい」 そういうので僕は離れ、ベッドに座った。 警戒した様子の香草さんがそろそろと入ってきて、僕の隣に腰掛ける。 そうか、確かに、何かの作戦にも見えなくも無い。まったく意図は見えないけど。 「ま、まあ、さっき説明したけどさ、香草さんが帰ってきて、それで、その、僕と私的なお付き合いをすることになったんだ」 どうも恥ずかしくて説明し辛い。 香草さんはこれ見よがしに僕の腕に手を絡めてくる。 正直、蛇にまきつかれたネズミの心地がしなくも無い。 「そういうことだからよろしく」 香草さんはそう言って不敵に微笑む。 どうしてそう挑発的に言うかなと思ったけど、直接的な物言いじゃないだけまだマシか。 748 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 54 25.30 ID /YmBUMpA [5/9] やどりさんは寂しげに、そう、と呟いた。 暫し沈黙が流れる。突然、思い出したようにやどりさんが言った。 「……それでゴールド、どうする?」 「どうするって?」 「……警察署」 僕はその一言で、急に現実に引き戻された。 ああ、何てことだ。 どうして僕はこんな大事なことを今まですっかり失念していたのだろう。 香草さんとの再開と告白ですっかり浮かれてしまって、頭から吹き飛んでいた。 僕の全身を強い後悔が襲う。 僕は後先考えずになんてことを。 これで万が一僕が逮捕されるようなことになったら、香草さんに顔向けできない。 背骨が氷に変わってしまったかのようだ。 冷や汗が後から後から噴し出してくる。 どうしよう。 香草さんは不思議そうに僕の顔を覗き込んでいる。 そうだ。香草さんはここに至るまでのいきさつを一切知らない。 僕はなんて説明すればいい。 目の前にある、この美しい顔を曇らせるのか。 ああ、うわあ。 思考がグルグルと加速していき、ドンドン寒気を増していく。 そんな僕の脳の混沌を、轟音が吹き飛ばした。 「な、何だ?」 咄嗟に窓を見ると、窓の向こうで一筋の閃光が空に上って消えていくところだった。 な、何だアレ!? 多分ポケモンの、それも相当に熟練度の高い高威力の攻撃だ。 「な、何? どうしたの?」 「ロケット団?」 街中であんな攻撃ぶっ放すんだ、その可能性は高い。 しかしロケット団だとしたら本当にマズい。 あれだけの攻撃を行えるポケモンはおのずと限られてくる。 戦闘力で言えば一級クラス。 そんなのを相手にしなくてはならないとなったら大変だ。 しかしだからといって見過ごしたくは無い。 このタイミング、あの通行所での出来事に関連している可能性は大いに有る。 となると、僕だって無関係じゃない。 昨日布団に篭って考えた。 そして結論に至ったことの一つ。 多分シルバーはロケット団を怨んでいた。 ロケット団の現れた場所に現れたのはロケット団と行動をともにしていたからじゃない。 きっと、ロケット団を倒してまわっていたんだ。 彼はずっと憎かったのだろう。 自分の、自分達の運命を歪めてしまった存在であるロケット団が。 ランの言うことが正しければ、今でも諦めきれない、あの頃の僕達の関係を壊したロケット団が。 ならば、僕はロケット団を潰さねばならない。 悪を倒すとか、そんな崇高な理念じゃない。 僕達の平和を奪った相手に対する、単なる私怨。 しかも、相手の力は強大。……結局、僕一人では何も出来ない。 周りを巻き込んでばかり、迷惑をかけてばかり。 みんなに心配をかけて、みんなの力を借りて、みんなを危険に晒して。 分かっている。それでも、今少し僕はこのエゴを貫きたかった。 「香草さん、やどりさん、付き合ってくれるかな。僕は、あれを放って置けない」 「ねえどうして、ゴールド。危ないよ」 「……ゴールドがそれを望むなら」 否定する香草さんと肯定するやどりさん。 「わ、私だって! 危ないってのはゴールドが心配ってだけだから! もちろん、ゴールドがそうしたいって言うなら協力するわよ!」 「ありがとう」 ごめん。 心の中で呟いて、僕達は光線の上がった現場を目指して出発した。 749 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 55 16.97 ID /YmBUMpA [6/9] 「あ、あれ!」 香草さんの指差すほうを見ると、誰かが現場と思しき場所から飛び立っていた。 すごいスピードで動き、あっという間に見えなくなる。 多分あの光線の主だ。 そのまま僕達は現場を目指す。 現場はすでに警察によって保護されていた。 何の変哲も無い民家。その一隅がぽっかりとえぐれ、なくなっている。 警察の人が群がる野次馬に対して説明をしていた。 「ここはロケット団のアジトの一つです。危険ですので近付かないでください」 やはりロケット団か。 野次馬が話してるのが聞こえる。 「ワタルさんが乗り込んでこのアジト潰したらしいぜ!」 「すごいな、さすが四天王だ」 「あの一昨日の頭痛、アレ、ロケット団の仕業だったらしいわよ」 「ここがその基地だったんですって」 「まあ怖い」 「だから被害がこの辺だけだったのね」 大した時間もかからずに、知りたい情報は大体手に入った。 多分そうだろうと思っていたけど、あの頭痛の原因がロケット団だったのには驚かされた。 あんな大規模にあんなことを出来るのだから、恐怖を禁じえない。 そう恐怖に慄いていると、後ろから肩を叩かれた。 香草さんかと思い何の疑問も無く振り返る。 が、振り返ったときに気づいた。 香草さんは今僕と手を繋いでいる。だから後ろから肩を叩くのは難しい。 そしてやどりさんは宙に浮いて、上から建物を見てもらっている。現に先ほどまで僕の視界にあった。 じゃあこれは? 視界の先には、フードを目深に被った人間がいた。 瞬間、全身の毛穴が開く。拍動が速くなる。体がカッと熱くなる。 ちょっと待て、そんなバカな。 思考は困惑と恐怖で真っ白になり、瞬間的にパニックに陥る。 だって、そこにいたのは―― 「ちょっとついてきてくれ。ここはあまりよろしくないからな」 ああ、間違いない。いやしかしそんなはずは。だってお前は…… 「死んだはずだろ、シルバー……」 問いかけというより、僕の意思とは別に、勝手に開いた口からこぼれたと言ったほうがいい。 僕の目の前にいたのは、死んだはずの――僕が殺したはずの、シルバーだった。 背中を中心に、上体に嫌なものが駆け巡る。 一拍遅れ、ようやく腰の武器に手を伸ばす思考が働く。 「ゴールド?」 僕の様子に気づいたのか、香草さんが僕を向き、話しかける。 香草さんもすでにシルバーの射程内。まず――いや? 「その手を下ろせゴールド。殺る気ならとっくにやってる。お前もそれくらいは分かるだろ?」 シルバーはそう言って不敵に笑った。 確かにその通りだ。今の僕は完全に油断していた。後ろから一突きされれば、それで終わりだ。いちいち話しかける意味がない。 それに、ランの言うとおりなら、シルバーは悪ではなかった。……いや、ランの言うことをそのまま信じるのは危険だ。 単に洗脳されて言わされていただけっていう可能性だって十分にあるのだから。 そうなれば、僕を殺さなかった理由だって、僕を懐柔して手駒にすることが出来ると考えたからかも知れない。 警戒は怠れない。 でも、現時点ですぐに僕の命に危険が及ぶことは無いだろう。 ……まったく、死んでると思っていたときは実はいい奴だったように思えたのに、生きてると分かった途端この心変わりとは、僕という人間は…… 必要な警戒といえども、自分が卑しい人間のように思えて、少し自分が嫌になる。 ともあれ、とりあえずは彼に従うことにした。 何故生きているのかを初め、疑問は絶えない。 そんな時、隣で急激に不穏な気配を感じた。 見ると香草さんが臨戦態勢に入っている。 無理も無い。香草さんは何も知らないのだから。 750 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 55 57.76 ID /YmBUMpA [7/9] 「香草さん、大丈夫だから落ち着いて」 僕がこういうと、香草さんはポカンと僕を見た。 「ちょっと来いよ。話がある」 台詞だけ聞くと喧嘩でも売っているようにしか聞こえない。 香草さんが体を硬くするのが分かる。 「分かった」 やどりさんにも合図を出して、僕らは人ごみを離れた。 「それで、どこに行く気だ?」 先頭を無防備に歩くシルバーに問いかける。 今なら、僕でも簡単にシルバーを殺せる。それくらい無警戒だ。 「どこか、人気の無い場所がいい。俺は人に見られるとまずいし、人に聞かれたくない話だからな」 「あまり人気の無い場所だと僕は嫌なんだけど」 「何だ? 言っただろう、殺るつもりならとっくに……」 「人目につくのを避けただけって可能性もある」 「やれやれ、お前は昔っから変わってないな。分かったよ、そこなんかどうだ?」 シルバーはそう言って一軒のオープンカフェを指差した。 客は一人も見当たらない。それに一応街中ではあるので、僕の都合にもあっていた。 一つのテーブルを囲んで、香草さんを僕から向かって左に、やどりさんを右に挟む形でシルバーと向き合って座った。 「おうおう、大層なボディーガードだな」 茶化すシルバーに香草さんが食って掛かる。 「ボディーガードじゃないわ! 彼女よ!」 ……そっち? 「何だ、初心な面してやることやってんじゃねーか」 やること? と言われてキョトンとしている香草さんと、表情を険しくしたやどりさんが横目に見えた。 「そんなことをわざわざ言いにきたのか?」 「そう怒るなよ。……ま、本題に入るか」 空気が引き締まった。彼の鋭い眼光に、僕は少し恐怖を覚えた。 「まず一つは、ロケット団を潰すのを手伝って欲しい」 唐突な申し出だ。 僕の考えていたこととすっかり合致していたため、僕の鼓動が高鳴るのが分かる。 「その前に、お前は本当にシルバーなのか?」 このままではシルバーのペースに乗せられてしまう。 一旦落ち着く意味もこめて、僕は話を変えた。 「本当に疑り深いなお前は。俺がシルバーじゃなかったら誰だって言うんだ」 「……お前はナイフに塗られた毒で死んだはずだ。あの毒はその辺の生半可な毒とは訳が違う」 「確かに、きつい毒だった。だが知ってるか? あの毒、解毒に必要な生薬は普通の毒と変わらないんだぜ?」 そう言ってシルバーは不敵に笑う。その目には絶対の自信。 「な、そんな話、聞いたことも……」 「俺がここにいるのがその証明だ。それに、俺があの毒を受けたのは初めてじゃない……ま、そんなことはどうでもいい。これで満足か?」 納得は出来ない。しかし今目の前にあるのが真実だ。 糞。僕の心労と時間を返せ糞野郎。 「それで、協力してくれるのか? くれないのか?」 「……あてはあるのか?」 「あ?」 「ロケット団を潰すあてはあるのかって聞いてんだよ」 「ああ。お前も見たろ? あのアジトの残骸。今頃ランが逃げ出した幹部を締め上げて吐かせてるはずだ。それに、どうも近いうちにロケット団に大きな動きがありそうなんだ。だから、それで集まった奴らを一網打尽って計画だ」 「そんな曖昧な……」 計画と呼べるような代物じゃない。 「ゴチャゴチャとした小賢しいことは性に合わん。現に今までそれで上手くやってきた」 「虚勢を張るなよ。今までは運よく失敗しなかっただけだろ。お前は昔っから……」 「あーうぜー。またお得意のお小言かよ」 「まったく……」 溜息を吐いて、実感する。 751 名前:ぽけもん 黒 24話 ◆/JZvv6pDUV8b [sage] 投稿日:2011/05/04(水) 01 56 46.58 ID /YmBUMpA [8/9] コイツはあの頃のままだ。 郷愁的な気持ちで胸が一杯になる。 しかし、ならば聞かなければならない。 「ランは……本当にああなのか?」 「……あの日以来ずっとあんな調子だ。特に最初のほうは大変だったよ。お前も知ってのとおり、あんな奴じゃなかったからな。だが、段々分かってきた」 「扱いが?」 「アイツの行動理念が。アイツは……俺を傷つけるものを許さない。だからアイツの親父さんは殺されたし……そうだ、分かってると思うが、お前もやばいぞ。 何せ、俺はお前のせいで死に掛けたんだからな。怒り狂ってたぜ。お前を目の前にしたら、よほどのことがないとお前を殺そうとするだろうな」 ハハ、とシルバーは笑う。 笑い事じゃないだろ。 「そもそも、あのとき……ランが言ったことは本当なのか?」 「本当だ……と俺が言ったら、お前は素直に信じるのか?」 「……信じるわけが無い」 「だろう。俺が何を言おうが意味はない。が、俺がロケット団を潰そうとしていることと、ランに近付いちゃならないことは、俺の行動で分かっただろ」 疑う材料はたくさんある。 しかし、こうして直接会って話してみて、疑う気持ちは大分薄れてしまった。 コイツは直情的で短絡的なあのころのままだった。 「大丈夫なのか? のこのこ僕の前に顔出して。ランは平気なのか?」 「問題ない。アイツの扱いは俺が一番よく分かってる。そもそも、アイツはお前がこの町にいることだって知ってやしない。知ってたら、今頃大変だろうな」 ランの扱いを一番よく分かっている、か。言ってくれるね。 「お前は僕がこの街にいるって分かってたのか?」 「ああ。ポケモンセンターの中にちょっとした伝手があってな。おかしな動きは全部把握している」 ポケモンセンターも安全な場所とはいえないらしい。まったく、しっかりして欲しい。 「ポケモンセンターよりロケット団の内部に伝手を持っておくべきだろ。それだったら、もっと計画の細かいことが分かるのに」 「うるせーな。伝手はあるにはあるが情報が入ってこないだけだ」 「それじゃ意味ないだろ……」 「そうだ、そろそろ俺は行かなきゃならん。だから答えをくれ。協力するのか、しないのか」 「こんな短い時間で、しかもこんな少ない情報で決めろって言うのかよ。分かってんのか、僕は数日前まではずっとお前を恨んで生きてきたんだぞ」 「優柔不断やってる時間はねえ。だが、俺はお前を諦める気はねえぞ」 くそ、相変わらず無根拠な自信に溢れやがって。 僕は迷った末、メモ帳に数字を書き、シルバーに差し出した。 「なんだよこれ」 「僕のポケギアの番号だよ。もう少し細かいことがわかったら連絡しろ。全てはそれ次第だ」 「メンドくせえ奴だな」 「お前は行き当たりばったり過ぎるんだよ。大体前だって……」 「はいはい、説教聞いてる暇はないんでね。俺はもう行かせて貰う」 僕の手から紙を引ったくり懐にしまうと、シルバーは立ち上がり、僕達に背を向けて歩き出した。 「またな」 奴は歩きながら言った。 「いいの? 追いかけなくて」 シルバーの後ろ姿が大分小さくなった頃。 香草さんが不思議げに聞いてきた。 確かに、事情を知らない香草さんにとってはさっぱり意味が分からないだろう。 いや、それでも、やはり追いかけたほうがよかったのだろうか。 ……またな、か。 「参ったな……」 僕は手のひらで目を覆い、天を仰ぐしかなかった。